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天皇(てんのう/すめらみこと)の称号

大陸の中華皇帝(つんふぁふぁんでぃ=中文)に対抗して、列島に於ける「天皇」の称号を最初に名乗った大王(おおきみ)は、天武大王(てんむおおきみ/第四十代天皇/大海人皇子)だった。

その経緯であるが、大和朝廷(ヤマト王権)が日本列島の西半分を統一した頃は、日本列島には多くの国主(くにぬし)や県主(あがたぬし)が居て、その統一王が大国主(おおくにぬし)大王(おおきみ)だった。

統一前の日本列島に於いて、小国乱立時代の「王号」の使用解釈は冊封(さくほう/さくふう)に拠る中華皇帝の臣下(諸侯王)へ与えられる称号である。

そうした渡来部族が、勝手に切り取った部族国家乱立の小国家群の統一王権として大王(おおきみ)の称号を使用した。

しかしながら日本列島の大王(おおきみ)は、冊封(さくほう/さくふう)に拠る中華皇帝の影響力を排して中華帝国の皇帝と対等の独立した帝国で在る事を内外に主張する名称として、天皇(てんのう)と言う呼称を採るようになる。

「天皇」という称号の由来には複数の説があり、一つは古代中国で北極星を意味し道教にも取り入れられた「天皇大帝(てんおうだいてい)」或いは「扶桑大帝東皇父(ふそうたいていとうこうふ)」から採ったと言う説がある。

また別の説として、中華帝国・唐の「高宗」は皇帝ではなく道教由来の「天皇」と称した事が在り、「これが日本列島大和朝廷(ヤマト王権)に移入された」と言う説もある。

元々「天皇」はその読みを「てんおう」と読んでいた事から、五世紀頃の対外的には「可畏天王」、「貴國天王」或いは単に「天王(てんおう)」等と称していたものが天武朝に「天皇(てんおう)」とされた等の説がある。

伝統的に「てんおう」と訓じられていた「天皇」は、後世の明治期に成って連声により「てんのう」に変化したとされる。

大王(おおきみ)から天皇(てんのう)に呼称変更したのは、皇統簒奪の疑惑がある天武大王(てんむおおきみ/第四十代天皇)が「初めて天皇(てんのう/すめらみこと)の称号を採用したのではないか」と推測されている。

つまり飛鳥京(あすかきょう)時代の末期に即位した天武大王(てんむおおきみ)が、何故かそれまで大王(おおきみ/治天下大王・あめのしたしろしめすおおきみ)の称号を用いていた大和王権の長が、天皇(てんのう/すめらみこと)の称号を用いるようになって天武天皇を名乗った。

天武天皇(てんむてんのう/大海人皇子)には、当時、ほぼ朝鮮半島統一が成されつつあった(金春秋<キム・チュンチュ>王=武烈王・太宗第二十九代)の弟が、「大海人皇子(おおあまのみこ)の正体ではないか」と言う「皇位簒奪疑惑」が存在する。

そこで、大友皇子との内乱(壬申の乱)を征した天武天皇(てんむてんのう/大海人皇子)の出現が、この「天皇」と言う称号採用とも「深く関連しているのではないか」とも考えられるのである。

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by mmcjiyodan | 2012-05-13 16:54 | Comments(0)  

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