佐賀の乱(さがのらん)

明治維新政府の要職(参議)を務めた江藤新平(えとうしんぺい)大隈重信(おおくましげのぶ)副島種臣(そえじまたねおみ)山口尚芳(やまぐちますか/なおよし)らを輩出した佐賀藩(さがはん)は、明治維新を推進した藩閥政治・薩長土肥と呼ばれる藩の一つ「肥前」である。

その佐賀藩から明治維新政府の参議と成っていた江藤新平(えとうしんぺい)が、武士と言う既得権を失った士族達に「佐賀の乱(さがのらん)」の首謀者に祭り挙げられてしまう。

切欠と成ったのは、千八百七十三年(明治六年)二年近く費やした岩倉使節団(いわくらしせつだん/岩倉遣欧使節団)の帰国だった。

留守政府では朝鮮出兵を巡る征韓論が進められていて、使節団帰国後に欧米諸国家との国際関係を配慮した慎重論の使節団組と留守政府組とで参議の意見が割れる。

岩倉具視らの慎重論に敗れた留守政府組は納まらず、、西郷隆盛を始め板垣退助江藤新平後藤象二郎副島種臣など参議五人が下野するなど「明治六年の政変」となった。

江藤新平は、朝鮮出兵を巡る征韓論問題から発展した政変(明治六年の政変)で西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・副島種臣と共に十月に下野する。

千八百七十四年(明治七年)一月十日に、江藤新平(えとうしんぺい)は愛国公党を結成し十二日に民撰議院設立建白書に署名し帰郷を決意する。

千八百七十四年(明治七年)二月十六日夜、憂国党が武装蜂起し、不平士族による初の大規模反乱である「佐賀の乱」が勃発する。

佐賀軍は県庁として使用されていた佐賀城に駐留する岩村通俊(元 土佐藩・陪臣/宿毛邑主・安東氏家臣)の率いる熊本鎮台部隊半大隊を攻撃、その約半数に損害を与えて遁走させた。

乱を率いた江藤新平(征韓党)と島義勇(しまよしたけ/憂国党)は、そもそも不平士族をなだめる為に佐賀へ向かったのだが、政府の強硬な対応もあり決起する事となった。

しかしこの乱の勢力は、半島への進出の際には先鋒を務めると主張した征韓党と、封建制への復帰を主張する反動的な憂国党は元々国家観や文明観の異なる党派だった。

両党は主義主張で共闘すべき理由を共有しては居ず「到底一枚岩とは言えない烏合の衆」と言う側面を有する危うい関係で司令部も別、両党は協力して行動する事は少なかった。

また、戊辰戦争の際に出羽の戦線で参謀として名をはせた前山清一郎を中心とする中立党の佐賀士族が政府軍に協力した。

更に武雄領主・鍋島茂昌など反乱に同調しないものも多く、江藤らの目論んだ「佐賀が決起すれば薩摩の西郷隆盛など各地の不平士族が続々と後に続く筈」と言う期待は、佐賀藩内ですら実現しなかった。

やがて大久保利通が指揮直卒する東京、大阪の鎮台部隊が陸続と九州に到着するも、佐賀軍は福岡との県境へ前進して、これら新手の政府軍部隊を迎え撃った。

政府軍は、朝日山方面へ野津鎮雄少将の部隊を、三瀬峠付近へは山田顕義少将の部隊を前進させた。

朝日山方面は激戦の末政府軍に突破されるが、佐賀軍の士気は高く三瀬峠方面では終始佐賀軍が優勢に戦いを進めた。

また朝日山を突破した政府軍も佐賀県東部の中原付近で再び佐賀軍の激しい抵抗にあい、壊滅寸前まで追い込まれている。

しかし政府軍の装備が遥かに新しい上に、司令官の野津鎮雄自らが先頭に立って士卒を大いに励まし戦い辛うじて勝利する。

この後も田手、境原で激戦が展開されるが政府軍の強力な火力の前に、装備に劣る佐賀軍は敗走する。

新平(しんぺい)は征韓党を解散して脱出し、三月一日鹿児島・鰻温泉・福村市左衛門方に湯治中の西郷隆盛に会い、薩摩士族の旗揚げを請うが断られた。

続いて三月二十五日高知の林有造・片岡健吉のもとを訪ね武装蜂起を説くがいずれも容れられなかった為、岩倉具視への直接意見陳述を企図して上京を試みる。

しかしその途上、現在の高知県安芸郡東洋町甲浦付近で捕縛され佐賀へ送還される。

手配写真が出回っていた為に速やかに捕らえられたものだが、この写真手配制度は新平(しんぺい)自身が千八百七十二年(明治五年)に確立したものだった。

皮肉にも、手配制度の制定者・新平(しんぺい)本人が被適用者第一号となったのである。

新平(しんぺい)は急設された佐賀裁判所で司法省時代の部下であった河野敏鎌によって裁かれ、「除族の上梟首の刑」を申し渡されて嘉瀬川から四キロメートル離れた千人塚で梟首処刑された。

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by mmcjiyodan | 2012-07-23 15:23 | Comments(0)  

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