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柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)

柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)は、千九百三十一年(昭和六年)九月十八日、現在の中国東北部(満州)の現在の瀋陽市(奉天)近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件である。

この南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件は関東軍の自作自演(偽旗作戦)で、関東軍の謀略によって起こった満州事変の発端となる事件である。

この柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)を発端に、日本軍はこれを満州事変(まんしゅうじへん)から太平洋戦争に発展させて行く。


当時、関東軍の兵力は凡(およ)そ一万であり、鉄道守備に任じた独立守備隊と二年交代で駐箚(ちゅうさつ/派遣滞在)する内地の一師団(当時は第二師団、原駐屯地は宮城県仙台市)によって構成されていた。

八月二十日日に赴任したばかりの本庄繁を総司令官とする関東軍総司令部は遼東半島南端の旅順(当時、日本租借地)に置かれていた。

幕僚には参謀長として三宅光治少将、参謀として板垣征四郎大佐、石原莞爾中佐、新井匡夫少佐、武田寿少佐、中野良次大尉が配置されていた。

独立守備隊の司令部は長春市南方の公主嶺(現吉林省公主嶺市)に所在し、司令官・森連中将、参謀・樋口敬七郎少佐で在った。

第二師団の司令部は奉天南方の遼陽(現遼寧省遼陽市)に設営されており、第三旅団(長春)と第十五旅団(遼陽)が所属、第三旅団に第四連隊(長春)・第二十九連隊(奉天)、後者に第十六連隊(遼陽)・第三十連隊(旅順)などが所属した。

当日(九月十八日)午後十時二十分頃、中華民国奉天(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市)北方約7.5キロメートルの柳条湖付近で南満州鉄道(満鉄)の線路上で爆発が起き、線路の一部が破壊される。

まもなく、関東軍より爆破事件が中国軍の犯行によるものである事が発表される。

日本では一般的にこの事件は、太平洋戦争終結に至るまで爆破は張学良ら東北軍の犯行と信じられていたが、実際には関東軍の部隊によって実行された謀略だった。

事件の首謀者はともに陸軍中央の研究団体である一夕会の会員で、関東軍高級参謀・板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀・石原莞爾中佐である。

両名とも張作霖爆殺事件の首謀者とされた河本大作大佐の後任として関東軍に赴任して居た。

この計画に参加したのは前述の立案者・石原中佐と板垣大佐、爆破工作を指揮したのは奉天特務機関補佐官・花谷正少佐と参謀本部付の張学良軍事顧問補佐官・今田新太郎大尉であった。

爆破の為の火薬を用意したのは今田大尉であり、今田大尉と河本中尉は密接に連携をとり合った。

直接の爆破実行は、奉天虎石台(こせきだい)駐留の独立守備隊第二大隊(大隊長は島本正一中佐)・第三中隊(中隊長は川島正大尉)付の河本末守中尉ら数名によって行なわれた。

この他に謀略計画に加わったのは、三谷清・奉天憲兵分隊長と、河本中尉の上司にあたる第三中隊長の川島大尉など数名とされている。

河本中尉が伝令二名を伴なって現場におもむき、斥候中の小杉喜一軍曹とともに線路に火薬を装填した。

川島中隊(第二大隊第三中隊)はこのとき、奉天の北約十一キロメートルの文官屯南側地区で夜間演習中だったが、爆音を聴くやただちに軍事演習を中止した。

中隊長の川島大尉は、分散していた部下を集結させ北大営方向に南下し、奉天の特務機関で待機していた板垣征四郎高級参謀にその旨を報告した。

参謀本部編集の戦史では、南に移動した中隊が中国軍からの射撃を受け、戦闘を開始したと叙述している。
板垣参謀は事件を「中国側からの軍事行動である」として特務機関に陣取り、関東軍司令官代行として全体を指揮する。

板垣参謀(大佐)は独断により、川島中隊ふくむ第二大隊と奉天駐留の第二師団歩兵第二十九連隊(連隊長平田幸広)に出動命令を発して戦闘態勢に入らせ、更に北大営および奉天城への攻撃命令を下す。

北大営は奉天市(瀋陽市)の北郊外にあり、約七千名の兵員が駐屯する中国軍の兵舎である。

また、市街地中心部の奉天城内には張学良・東北辺防軍司令の執務官舎が在った。

ただし事件当時、東北辺防軍司令・張学良は麾下(きか/指揮下)の精鋭十一万五千を率いて北平(現在の北京)に滞在していた。

本庄繁・関東軍司令官と石原中佐・作戦参謀ら主立った幕僚は、数日前から長春、公主嶺、奉天、遼陽などの視察に出かけて居り、事件の在った九月十八日の午後十時頃、旅順に帰着した。

しかしこの時、板垣高級参謀(大佐)だけは、関東軍の陰謀を抑える為に陸軍中央から派遣された建川美次少将を出迎えると言う名目で奉天に残っていた。

午後11時46分、旅順の関東軍司令部に、「中国軍によって満鉄本線が破壊された為、目下交戦中である」と言う奉天特務機関からの電報が届けられる。

しかし、これは既に板垣が攻撃命令を下した後に発信したものだった。

この事件について第二次世界大戦後に発表された奉天特務機関補佐官・花谷正少佐の手記によれば、関東軍司令官・本庄繁中将、朝鮮軍司令官・林銑十郎中将、参謀本部第一部長・建川美次少将、参謀本部ロシア班・長橋本欣五郎中佐らも「この謀略を知って賛意を示していた」とされる記述がある。

つまり関東軍は、手段を選ばず「行け行けドンドン」の組織だった。

彼らの本心は功名心に駆られた個人的野望で、お題目の「国益」など二の次だったのでは無いのだろうか?


関連小論・【張作霖爆殺事件・柳条湖事件の陰謀】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-08-13 03:17  

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