蒲生氏郷(がもううじさと)と蒲生三代記〔二〕

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蒲生氏郷(がもううじさと)の嫡男・蒲生秀行(がもうひでゆき)は千五百九十八年(慶長三年)三月、秀吉の命令で父・氏郷(うじさと)の遺領会津九十二万石から宇都宮十八万石に移封された。

理由として、秀行(ひでゆき)がまだ十三歳の若年で在った為の蒲生騒動(家臣の対立)が有力である。

他に、秀行(ひでゆき)の母、すなわち織田信長の娘の冬姫が美しかった為、氏郷(うじさと)没後に豊臣秀吉が側室にしようとしたが冬姫が尼になって貞節を守った事を不愉快に思った説がある。

また秀行が徳川家康の三女の振姫(正清院)を娶っていた親家康派の為に石田三成が重臣間の諍いを口実に減封を実行したとする説もある。

秀行は宇都宮の経営に力を入れ、武家屋敷を作り町人の住まいと明確に区分し、城下への入口を設けて番所を置くなどして城下の整備を行なう。

蒲生氏の故郷である近江日野からやって来た商人を御用商人として城の北側を走る釜川べりに住まわせ、日野町と名づけて商業の発展を期した。

そうした中、石田光成と上杉景勝の密約連合軍が徳川家康の挟撃(挟み撃ち)を狙い、上杉軍が家康を挑発する。

千六百年(慶長五年)、徳川秀忠関ヶ原の戦いで上杉景勝を討つ為、蒲生秀行(がもうひでゆき)の宇都宮に入った。

その後、秀忠も家康も西に軍を向けて出陣した為、秀行は本拠の宇都宮で秀吉に旧蒲生領の会津を与えられた上杉景勝軍への牽制と城下の治安維持を命じられる。

関ヶ原の戦いは東軍(家康軍)の勝利に終わり、戦後、秀行(ひでゆき)はその軍功によって、没収された上杉領の内から陸奥に六十万石を与えられて会津に復帰した。

秀行は家康三女・振姫(ふりひめ)と結婚していた為、江戸幕府成立後も徳川氏の一門衆として重用された。

しかしその後は順風満帆とは行かず、会津地震に遭うなどの非運、家中騒動の再燃なども重なり、その心労などの為に千六百十二年(慶長十七年)五月十四日に死去する。

陸奥国会津藩初代藩主・蒲生秀行(がもうひでゆき)の跡は、千六百二年(慶長七年)生まれの長男の忠郷(たださと)が継いだ。

蒲生忠郷(がもうたださと)は、千六百十二年(慶長十七年)父・秀行が死去した為に十歳で会津六十万石を継ぐ。

家康の外孫でもある忠郷(たださと)は弟・鶴千代と共に家康によって元服、松平姓と将軍・徳川秀忠の偏諱を与えられ松平忠郷(まつだいらたださと)と称した。

しかし未だ若年であった為、母・振姫の後見を受けた。

その母・振姫の勘気による仕置で家老・岡重政の死罪、祖父・蒲生氏郷時代から弟の忠知の時代まで続いた重臣間の抗争など家中は安定しなかった。

千六百十五年(慶長二十年)の大坂の陣に於いて、十三歳の忠郷(たださと)は江戸留守居を命じられ、武功を挙げる機会を得なかった。

千六百十九年(元和五年)、十七歳の忠郷(たださと)は正室に藤堂高虎の娘を迎える。千六百二十四年(寛永元年)に蒲生家は、江戸藩邸に大御所・秀忠と将軍・家光の御成(おなり)を迎えた。

この間も重臣層の抗争、訴訟は続いていたが徳川閨閥の故にか大事に至らず、千六百二十六年(寛永三年)、後水尾天皇の二条城行幸に際し上洛、行幸の後、正四位下参議に昇進する。

この時疱瘡に罹患し、翌千六百二十七年(寛永四年)一月四日享年二十六歳で没した。

正室・藤堂氏女との間には嫡子が無かった為、本来なら蒲生氏は断絶する処であった。

だが、母が家康の娘であると言う事で、上山藩四万石を領していた弟の忠知を後嗣として伊予松山二十四万石が与えられ、三十六万石の大減封となったものの存続を許された。

しかし蒲生氏は藩主・蒲生忠知に嗣子無く、千六百三十四年(寛永十一年)に死去の為断絶した。

安土桃山時代から江戸時代初期にかけて一時は九十二万石の大藩を領した本宗・蒲生氏は、織田信長の次女・冬姫と徳川家康の三女・振姫(ふりひめ)の血を継いだ名家だったが、血統が途絶えて人々から忘れ去られて行った。

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by mmcjiyodan | 2012-09-21 22:55 | Comments(0)  

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