土田氏(どたうじ)

美濃土田氏(みのどたうじ)は、征東大将軍・木曾義仲の四天王と謳われた根井行親(ねのいゆきちか)の末裔と伝わる。

根井行親(ねのいゆきちか)は、滋野氏の流れを汲む東信濃の名族・望月氏の傍流・滋野氏嫡流の海野幸親(滋野行親)と「同一人物」とする説もある。

根井行親の子孫は、南近江守護・六角氏の家臣として仕え、文明年間(千四百七十年代?千四百八十年代)の頃に、近江国蒲生郡から美濃国可児郡の木曽川河畔にある土田(どた)村に移住した。

土田山(どたやま)の山麓にある渡り田の大井戸渡しを支配して屋敷を築き、土田村(どたむら)の他にも田畑を開墾して領地を増やしていき土田(どた)姓を名乗り土豪となる。

後に、土田秀定(どたひでさだ)は明智氏の娘婿となり、明智氏の家臣として美濃国可児郡土田村の所領を安堵され、更に勢力を拡げていき文明・明応年間(千四百年代後半頃)に土田城を築く。

その後土田氏は、宇多源氏の流れを汲む名門・佐々木六角氏の旗本を務め、代々「近江守」を称していた。

また異説として、土田(どた)氏は近江国の出身で宇多源氏の流れを汲む名門・佐々木六角氏の旗本を務め、代々「近江守を称していた」とされる。

この説では、四代目の近江守秀定の頃、文明年間に近江国蒲生郡より東美濃木曽川河畔の土田村に移り住んだ。

渡り田の大井戸渡しを支配して土田(どた)村や下畑や川原田を拓き「開墾領主として当地の土豪へと生長した」とされる。
いずれにしても土豪上がりの領主の出自は、この時代何処までが正しいのかは判別が難しい。

織田信長の生母・土田御前(どたごぜん・つちだごぜん)は信長の父・織田信秀の継室(最初の正室・織田達勝息女が離縁の為正室を継いだ)である。

「土田下総守政久」の息女とされているが異説もあり実名は不詳とされ、信長以外に信秀の継室として信行(信勝)、秀孝、信包お市の方らの生母とされている。

この織田家と土田家の縁は深く土田御前の叔母も織田信定(信秀の父・信長の祖父)に嫁いでいる為、土田御前は従兄弟(叔母の子)の所に嫁いで来た事に成る。

つまり守護職・斯波(しば)氏の尾張国八郡の内四郡の守護代・織田大和守家の家老職である織田信長の父・信秀の家格は、「土豪上がりの美濃土田氏(みのどたうじ)から妻を迎える程度だった」と言える。

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by mmcjiyodan | 2012-10-06 03:35 | Comments(0)  

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