堀秀政(ほりひでまさ)と堀家四代〔一〕

戦国時代に活躍した織田信長豊臣秀吉徳川家康の三大巨頭と親子孫ひ孫の四代が関わって三十万石の大々名にまで家運を挙げた堀一族を紹介する。

堀家興隆の切欠を創った堀秀政(ほりひでまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて織田信長に仕えて大名に出世した人物である。

堀姓については藤原利仁流清和源流宇多源流、大神氏流などの説あるが、美濃堀氏については明確な文献無く不明で、強いて地勢的可能性を挙げれば清和源流が有力である。

秀政(ひでまさ)は千五百五十三年(天文二十二年)、堀秀重(ほりひでしげ)の長男として美濃国で生まれる。

父・堀秀重(ほりひでしげ)は、初め斎藤道三に仕え二千石を領す、次いで織田信長に仕え、近江坂田郡に三千石、他に二千石の合計五千石を与えられた。

秀政(ひでまさ)は、幼い頃は一向宗の僧となっていた伯父・堀掃部太夫の元で従兄弟・奥田直政(後の堀直政)と共に育てられたと言う。

秀政(ひでまさ)は最初、織田信長側近・大津長昌(おおつながまさ)、次いで木下秀吉(豊臣秀吉)に仕え、千五百六十五年(永禄八年)に十三歳の若さで織田信長の小姓・側近として取り立てられた。

少年・秀政(ひでまさ)が小姓に上がった時、信長は十九歳年上の三十二歳と男盛りである。

この当時、若くして小姓に昇り「信長の寵愛を受けた」と言うからには、秀政(ひでまさ)は前田利家森蘭丸と同様に、武門の習いとして稚児小姓として信長の衆道相手を務めた可能性が強い。

伝えられるところに依ると、秀政(ひでまさ)は森蘭丸の前に寵愛された信長お気に入りの稚児小姓だった。

聡明な少年を見い出して寝所に召し、衆道関係を持って身も心も奪った上で集中的に教育を施して優秀な側近に育てるのだ。

勿論、稚児小姓あがりの側近は信頼関係が強く、出世も別格で早い。

秀政(ひでまさ)は才能を発揮し、三年後には十六歳で将軍・足利義昭の仮住まいの本圀寺の普請奉行を担うなど各種の奉行職を務め、信長側近としての地位を確立する。

数年後、少年から青年に成長した秀政(ひでまさ)は次第に奉行職だけでなく戦場でも活躍するようになる。

越前一向一揆討伐、紀伊雑賀討伐戦、有岡城の戦い、第二次天正伊賀の乱などに指揮官として一隊を率いて戦っている。

千五百八十一年(天正九年)、二十八歳の秀政(ひでまさ)は信長の寵愛を受け、近江国坂田郡に二万五千石を与えられ大名に列した。た。

千五百八十二年(天正十年)の甲州征伐(武田勝頼(たけだかつより)攻め)では信長に従って甲信に入るが、既に織田信忠武田氏を滅ぼした後だった為に戦闘には参加しなかった。

本能寺の変の直前には、明智光秀が徳川家康の接待役を外された後、丹羽長秀と共にこれを務めており、この接待を終えた後に備中の秀吉の下へ向かっている。

同じ年の千五百八十二年(天正十年)、本能寺の変が起こって信長が死去した時、秀政は秀吉の軍監として備中国にいた。

そしてその後は秀吉の家臣となって山崎の戦いに参陣し、中川清秀・高山右近らと先陣を務める。

秀吉と光秀が雌雄を決した山崎の戦いは秀吉方の勝利に終わり、秀政(ひでまさ)は光秀の援護にきた従兄弟の明智秀満を坂本城に追い込む。

敗北を悟った秀満は先祖代々の家宝を秀政の家老・直政に譲る旨を告げ、城に火を放ち自害した。

信長没後も、信長の寵愛を受けた秀政(ひでまさ)の優秀さは折り紙付きで、豊臣秀吉も一目置いていた。

戦後処理となった清洲会議により、堀秀政(ほりひでまさ)は丹羽長秀に代わって近江の佐和山城を拝領し、三法師の蔵入領の代官と守役を承る。

千五百八十二年(天正十年)十月二十日付の秀政(ひでまさ)書状には羽柴の名字を使用しており、秀吉の一族以外で初めて羽柴氏(名字)を与えられたと考えられている。

翌千五百八十三年(天正十一年)四月、織田家相続で対立した秀吉は越前北ノ庄の柴田勝家を攻める。

この戦いで、家康が秀吉に宛てた書状に秀政(ひでまさ)の軍功を褒めるほど目覚しい働きあり、戦後、従五位下・左衛門督に叙任され、また近江佐和山九万石を賜る。

但し別の説では、佐和山九万石は清洲会議で賜ったと言う史料もある。
秀政(ひでまさ)はまた、従兄弟の六右衛門が一向宗蓮照寺住職となっていた関係で、本願寺方との交渉をも受け持った。

堀秀政(ほりひでまさ)〔二〕】に続く。

関連小論・【日本の、秘められた武門の絆・稚児小姓】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-10-15 01:05 | Comments(0)  

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