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森氏(もりうじ)・森長可(もりながよし)〔二〕

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長可(ながよし)は無事に旧領・金山領(美濃国金山)への帰還を果たし、各務元正(かがみもとまさ)ら弟・成利(蘭丸)に与力として付けていた部下らと合流した。

しかし東美濃は、「本能寺の変」でお館様・信長が討たれ、弟・美濃国金山城主の森成利(蘭丸)も本能寺でお館様と運命を伴にした為、重石がとれて大混乱に陥っていた。

長可(ながよし)も旧領への帰還を果たしたものの、元家臣の肥田忠政・久々利頼興らが離反して森氏の勢力は衰退して居た。

更に小里光明・妻木頼忠・遠山友忠・斎藤利堯(さいとうとしたか)らも長可(ながよし)の排斥を企むなど、周囲は敵に囲まれた状態であった。

斎藤利堯(さいとうとしたか)は通称を玄蕃と称し、斎藤道三の子で、兄弟に義龍、孫四郎、喜平次、利治、濃姫(帰蝶)が居たとされ、稲葉良通(一鉄)の甥にあたる。

長可(ながよし)は、それらの離反した勢力を遠山氏など二~三を残し僅か一ヵ月半で一掃し、一方で実権を握りつつ在った羽柴秀吉に接近する。

長可(ながよし)は、首尾良く秀吉から東美濃の諸氏との秀吉への取次の役目を申し付けられ「当国に不届き者が居れば成敗するように」と言う旨の書状を受け取っている。

つまり長可(ながよし)は、東美濃に於ける秀吉の代行権を手に入れたのである。

千五百八十三年(天正十一年)には周囲の平定に着手、折から起こった賤ヶ岳の戦いでは、長可(ながよし)は羽柴秀吉方に付いて、柴田勝家と連携した織田信孝の家臣と交戦する。

これらの戦いを経て、長可(ながよし)は旧領復帰から十一ヶ月ほどで美濃に於ける抵抗勢力を完全に駆逐し、東美濃全域並びに中濃の一部にまで支配地を拡大した。

翌千五百八十四年(天正十二年)、長可(ながよし)二十七歳の時、運命を変える「小牧・長久手の戦い」が起こる。

羽柴秀吉と織田信雄との間で軍事的な緊張が高まり戦が不可避となったので、長可(ながよし)は岳父である池田恒興(いけだつねおき)と共に秀吉方に付いた。

この戦に勝てば、長可(ながよし)は秀吉から駿河と遠江の二ヵ国の太守を保障されていた。

しかし織田信雄が拝み倒して味方につけた徳川家康は、経験豊かで老獪な武将だった。

秀吉方として出陣した長可(ながよし)は、小牧山の占拠を狙って軍を動かし羽黒(犬山市)に陣を張る。

その小牧山は既に前日徳川軍の手に陥落ちて居り、忍びの連絡により察知した家康は直ちに酒井忠次榊原康政・大須賀康高ら五千の兵を羽黒へ向けて派兵する。

翌早朝、森軍を捕捉した徳川軍は羽黒の長可(ながよし)方へと奇襲をかけ戦端を開く。その奇襲にも長可(ながよし)が立て直し戦形を維持するが、迂回していた酒井忠次が退路を塞ぐように後方に現れた為に一部の兵を後退、反転させて迎撃を試みる。

しかし自軍の兵がこれを敗走と勘違いして混乱し始め、その隙を徳川軍に攻められ森軍はあえなく崩れ、徳川軍に次々と討たれる。

もはや戦形の維持が不可能になった上に敵に包囲された長可(ながよし)は、指揮の効く兵だけで強引に北側の包囲の一角を破り漸く撤退に成功する。

だが、退路の確保や追撃を振り切る為の退き戦で三百余りの兵を失う手痛い敗戦を喫した。

長可(ながよし)は、膠着状態の戦況を打破すべく羽柴秀次を総大将とした三河国への中入り部隊に第二陣の大将として参加する。

この戦に際して長可(ながよし)は徳川家康の本拠岡崎城を攻略するべく、鎧の上に白装束を羽織った姿で出馬し不退転の覚悟で出陣した。

道中で敵勢撹乱の為に、長可(ながよし)は別働隊を派遣して一色城や長湫城に放火して回らせる作戦に出る。

岐阜根より南下し、岩崎城の戦いで池田軍に横合いから加勢して丹羽氏重を討つと、手薄な北西部の破所から岩崎城に乱入し、城内を守る加藤景常も討ち取った。

この中入り部隊を叩くべく家康も動いており、既に総大将である羽柴秀次も徳川軍別働隊によって敗走していた。

その別働隊を、第三陣の堀秀政らが破ったものの、その間に家康の本隊が二陣・長可(ながよし)隊と三陣・堀秀政隊の間に割り込むように布陣していた。

そして、先発した池田隊と長可(ながよし)隊は先行したまま取り残された形となっていた。

決戦は不可避となり、長可(ながよし)は池田隊と合流して徳川軍との決戦に及び井伊直政(いいなおまさ)の軍と激突する。

長可(ながよし)は奮戦するも、井伊軍鉄砲隊の狙撃で眉間を撃ち抜かれ即死した。

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by mmcjiyodan | 2012-10-19 19:58  

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