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古事記・日本書紀の皇統神格化疑惑

桓武大王(かんむおおきみ・第五十代天皇)の御代に、時の大和朝廷(やまとちょうてい)が、統治の為に画策した記紀神話(古事記日本書紀)と言うフエィクニュース(嘘ニュース)を 、日本全国に拡散させた組織がある。

その組織こそが、十代前の天武大王(てんむおおきみ・第四十代天皇)より密命を帯びた役小角(えんのおずぬ)を始祖とする陰陽修験者組織で、いわゆる説法を持って列島の隅々の民にまで皇統の正統性を神話を持って知らしめる目的を持っていた。


初代・神武大王(じんむおおきみ/神話・伝説上の初代天皇)から第二十五代・武烈大王(ぶれつおおきみ/第二十五代天皇)までを「上古天皇」と分類している。

この「上古天皇」は、「かみふるてんのう/かみのみなすめらみこと」と読むのだが、この「上古天皇(かみふるてんのう)」は「神降(かみふ)る=天孫降臨」とも読め、古事記・日本書紀の編纂意図が伺われる。

古事記日本書紀の皇統神格化の為の内容捏造疑惑(ないようねつぞうぎわく)は、日本史研究者の間では大きな課題である。

古事記・日本書紀編纂には、百五十年も二百年も或いはそれより以前の出来事を、皇統の正統性を強調する歴史伝承として編纂され、作為的に事実を歪曲(わいきょく)してしまう綺麗事が多い。

明快に言ってしまえば、記紀神話(古事記・日本書紀)の伝説は「渡来氏族に依る日本列島経営の為の陰謀」である。

例えば元々聖徳太子(しょうとくたいし)が生きていたとされる時代は六百年前後(六百二十二年没)である。

その太子没後百年近い七百二十年に編纂された日本書紀に記述された太子生前(リアルタイム)の名は、厩戸皇子(うまやどのみこ)と言う名である。

だが、そもそもこの厩戸皇子(うまやどのみこ)生誕の下りがイエス・キリストの生誕伝承と余りにも似ている。

その事から、厩戸皇子(うまやどのみこ)が西洋からの伝聞を借用して「日本書紀に創造された人物」との指摘が大勢を占めている。

立太子した者は次期大王(おおきみ/天皇)であり、もし聖徳太子が実在の人物ならば聖徳太子が皇位に就いた事実が、理由も無しに無い事は説明が着かない。

聖徳太子に関しては、後の六百四十五年に蘇我入鹿(そがのいるか)が「乙巳の変(いっしのへん・おっしのへんの変)」で中大兄皇子(なかのおおえのおうじ/葛城皇子)に抹殺された。

中大兄皇子(後の天智天皇)らが蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏本宗家を滅ぼした乙巳の変(いっしのへん)と、その変の後に行われた政治改革を総称して「大化の改新(たいかのかいしん)」と言う。

飛鳥時代の六百四十六年、孝徳二年に改新の詔(かいしんのみことのり)が発布された事を称する豪族中心の政治から天皇中心に戻した政治的改革として知られる。

しかし近年では、この「大化の改新(たいかのかいしん)」と言われる一連の改革は、日本書紀編者による創作ないしは後世の過大評価であるとその存在が疑われている。


蘇我氏(そがうじ)は、乙巳の変(いっしのへん・おっしのへん)の変事に拠って討ち取られた。

その変事の理由を補完する為に、蘇我一族が聖徳太子一族を「一人残さず攻め滅ぼした」としている。

そして蘇我氏(そがうじ)に「一族ことごとく討ち取られた」とされる「聖徳太子とその一族」が、没後百年以上を経て成立した「日本書紀」などの史料に「初出」と言う形で出現する。

つまり聖徳太子の出現は、蘇我氏(そがうじ)を殊更悪しき存在としてその後に起こった乙巳の変(いっしのへん)の変事を正当化するものである。


中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は後の天智天皇(てんちてんのう / 第三十八代)で、民に慕われるべきご神体である。

当然ながら「乙巳の変(いっしのへん・おっしのへんの変」での蘇我入鹿(そがのいるか)抹殺には、「蘇我一族は悪い連中」と言う民が納得する正統な理由が伝承されなければ成らない。

つまり日本書紀は、蘇我一族が「聖徳太子一族を滅ぼした」とする汚名を着せて「大化の改新(たいかのかいしん)」の正当性をでっち上げ、合わせて元々存在しなかった太子一族について日本書紀編纂時に太子一族の末裔が一人も居ない事の言い訳をした。

こうした伝聞借用や政治的捏造(ねつぞう)の疑惑に関しての事例は、古事記・日本書紀には沢山ある。

例えば古事記によると、神武大王(じんむおおきみ/初代天皇)に始まる皇室の五代前に、高天原から光臨したニニギノ命(みこと)が、「日向の高千穂のくしふる峰に降りた」と記されている。

これをもって、日向国・高千穂への天孫降臨とする解釈も多い。

しかしこの「高千穂のくしふる峰」の記述が、朝鮮半島の加耶(伽耶諸国/加羅)の建国神話である「加耶国」の始祖・首露王(スロワン/しゅろおう)が「亀旨峰(クジボン)に天降る話」・・・と似ているとの指摘が在る。


日本列島に於いて、古来から統治に際する領主の地位の裏つけ保障と証明は天皇から授けられる形で存在していた。

だからこそ、どんな有力者が他から現れても連綿と天皇家(皇室)の存在が追認機関として成立していた。

しかしその天皇家(皇室)の保障と証明の裏つけは、古事記・日本書紀に関わる三種の神器(みくさのかむだから/さんしゅのじんぎ)と言う証明物の所持を以て納得させると言う手段しか無かった。


つまり、「記紀神話(古事記・日本書紀)」の一部は、中国大陸や朝鮮半島・加耶(伽耶諸国/加羅)から持ち込み輸入された伝承を採用し加工して記載した疑いが強いのである。


いずれにしても、「古事記・日本書紀編纂」の目的は皇統の神格化であるから、その目的の為に実史にアレンジを加えて成立させた物語である。

参考小論・【天孫降(光)臨伝説と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)】を参照下さい。

陰陽師起源の詳しくは、小論【陰陽師=国家諜報機関説】を参照下さい。

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参考小論【聖徳太子は実在したか?その疑惑を追う】に飛ぶ。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

◆このコンテンツ(記事)を「引用」・「転載」する時は、必ず原作者名・未来狂冗談を明記した上で出典元の当方アドレスをリンクで貼って下さい。


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by mmcjiyodan | 2013-01-14 14:35  

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