神国日本と徴兵令
有朋(ありとも)は、維新の十傑と言われた元勲達が岩倉卿を除きほとんど亡き後、日本国軍を整備し「国軍の父」・「日本軍閥の祖」とも称された人物である。
有朋(ありとも)は、軍制改革の整備の為に出向いたヨーロッパ視察に於いて見聞したフランスの「民権運動」に恐れを感じて帰朝していた。
帰朝後、有朋(ありとも)は伊藤博文と伴に政府の実権を握るようになって「民権運動」の制御を思考する。
「民権運動」の制御を有朋(ありとも)を中心に考え出されたのが「天皇の神格化」と「徴兵制」である。
有朋(ありとも)は、暗殺された大村益次郎の後継として、西郷隆盛の協力を得て軍制改革(徴兵令)を行い徴兵制を取り入れる。
後に西郷隆盛が、鹿児島の不平士族に西南戦争/西南の役の頭目に担ぎ上げられて戦った時、有朋(ありとも)と伴に行った徴兵制の民兵に敗北する皮肉な運命だった。
また、有朋(ありとも)が「天皇の神格化」を考案してその為につくられたのが「軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)」や「教育勅語(きょういくちょくご)」である。
その後「天皇の神格化」は「皇国史観」として神国化され、日本国統一の主柱として昭和二十年八月の太平洋戦争の敗戦まで続く。
【神風伝説(かみかぜでんせつ)】に続く。
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皇統と鵺の影人
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