下克上(げこくじょう)
元々下克上(げこくじょう)は六世紀頃(春秋時代)の中国・隋の書物に見られた言葉で、群雄が台頭し国土を割拠、勢力拡大を試みた時代である。
中国の乱世・春秋時代を通じて諸侯が行なった地域開発は文物の発達と交流を伴い、都市国家群が領域国家へ移行する原動力にもなった。
士大夫(したいふ)は、中国の北宋以降で、科挙官僚・地主・文人の三者を兼ね備えた者で有力族長層と共に、名門意識を高めて後世貴族と呼ばれる階級に変わって行く。
産業の発達を主導した士大夫(したいふ)勢力の抬頭は春秋時代を象徴する下剋上の風潮を醸成し、孔子の提唱した礼制も、身分秩序の崩壊に対する反動=復古主義を根幹に据えていた。
春秋初期には、中国・隋は中国・楚の武王をしばしば撃退し、中国・楚の兄王子・杜敖に圧迫された弟王子・惲(成王)を庇護して即位させるなど侮りがたい国力を有し居た。
つまり中国・隋は、楚の兄王子・杜敖が王位に就くところに介入し、下克上(げこくじょう)に依って弟王子・惲を成王として即位させている。
中国・隋は、中国・呉に郢都(寿春城)を逐われた楚の昭王にも頼られたが、やがてその後は楚の衛星国の如くになっていた。
日本では、この隋書に習い、南北朝時代から室町時代を経由して戦国時代の乱世に、上下関係の身分秩序を侵す武力行為で、上位者を倒して地位を乗っ取る事が下克上(げこくじょう)とした。
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皇統と鵺の影人
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未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2013-04-30 18:24