立花宗茂(たちばなむねしげ)〔二〕

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立花宗茂(たちばなむねしげ)は千五百八十八年(天正十六年)に上洛し、七月に従五位下・侍従に叙任され、秀吉から羽柴の名字と豊臣姓(本姓)を与えられる。

千五百九十年(天正十八年)宗茂(むねしげ)は秀吉の小田原征伐に従軍する。

この時、豊臣秀吉は諸大名の前で「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」と、その武将としての器量を高く褒め称えたと伝えられる。


日本の覇権を握った豊臣秀吉は、その新たな野望を朝鮮半島と大陸に向け、大軍を編成して朝鮮に侵攻を始める。

千五百九十二年(文禄元年)からの「文禄の役」では、宗茂(むねしげ)は小早川隆景を主将とする六番隊に参陣し、秀吉から「日本無双の勇将たるべし」との感状を拝領している。

千五百九十七年(慶長二年)からの「慶長の役」では、侵攻軍には編入されずに安骨浦の守備を命ぜられた。

秀吉が死去すると、朝鮮に派遣されていた日本軍に撤退命令が下った。

だが宗茂(むねしげ)は、順天倭城で小西行長らが海上封鎖を受け撤退を阻まれている事を知ると、弟の高橋統増・島津義弘・宗義智・寺沢広高らと共に水軍を編成して救援に向かう。

宗茂(むねしげ)は、陳璘(ちんりん)率いる明水軍や李舜臣(りしゅんしん/イ・スンシン)率いる朝鮮水軍と戦い(露梁海戦)、小西行長らの救出を成功させた。


秀吉の死去に伴い徳川家康が天下に実力を影響し始めて豊臣家の番頭格・石田三成と軋轢を生み関ヶ原の戦いに到る。

宗茂(むねしげ)は徳川家康から法外な恩賞を約束に東軍に付くように誘われたが、宗茂は「秀吉公の恩義を忘れて東軍側に付くのなら、命を絶った方が良い」と言い拒絶する。
千六百年(慶長五年)の関ヶ原の戦いでは、宗茂(むねしげ)は石田三成率いる西軍に属し、伊勢方面に進出する。

九月十五日の関ヶ原本戦には、宗茂(むねしげ)は大津城を攻めていた為に参加できず、本戦での西軍壊滅を知って大坂城に引き返した。

大坂城に退いた後、宗茂(むねしげ)は城に籠もって徹底抗戦しようと西軍の名目総大将の毛利輝元に進言した。

しかし輝元は、その宗茂(むねしげ)進言を容れずに徳川家康に恭順した為、宗茂は自領の筑後柳川に引き揚げた。

その筑後柳川で、黒田孝高(如水)加藤清正、鍋島直茂が東軍方として攻め寄せて来る。

立花勢は柳川城へ篭城する構えを示し、慶長の役で共に苦労した黒田孝高(如水)、第二次蔚山城の戦いで宗茂(むねしげ)に救ってもらった加藤清正が宗茂を懸命に説得。

宗茂(むねしげ)は投降し、開城後は改易されて浪人となる。


その後宗茂(むねしげ)は加藤清正の食客をしていたが、由布惟信、十時連貞ら付き従う家臣を引き連れ浪人の身で京都に上る。

千六百三年(慶長八年)江戸に下った宗茂(むねしげ)は本多忠勝の世話で、由布惟信、十時連貞など従者らとともに高田の宝祥寺を宿舎として蟄居生活を送ながら改易の解除を待っていた。

千六百四年(慶長九年)、宗茂(むねしげ)一党は本多忠勝の推挙で江戸城に召し出される。

宗茂(むねしげ)の実力をよく知っていた将軍・徳川家康から幕府の御書院番頭(将軍の親衛隊長)として五千石を給され、徳川家直臣として仕える事になる。

まもなく嫡男・徳川秀忠(次期将軍)の御伽衆に列せられて陸奥棚倉に一万石を与えられて大名として復帰し、同陸奥棚倉で加増され二万五千五百石の知行となった。

千六百十年(慶長十五年)には更に九千五百石の加増を受けて最終的に三万五千石の領地高となり、実はこの頃から漸く宗茂(むねしげ)と名乗っている。


大坂の役の時、大御所・家康は猛将・宗茂(むねしげ)が豊臣方に与するのを恐れて、その説得に懸命に当たったと伝えられる。

そして宗茂(むねしげ)の大坂夏の陣は二代将軍・徳川秀忠の麾下に列してその軍師参謀を兼ね警固を担当し、毛利勝永と交戦している。


千六百二十年(元和六年)、宗茂(むねしげ)は幕府から旧領の筑後柳川十万九千二百石を与えられ、関ヶ原に西軍として参戦し一度改易されてから旧領に復帰を果たした唯一の大名となった。

また宗茂(むねしげ)は戦国武将としては世代が若く、伊達政宗加藤嘉明丹羽長重らとともに、三代将軍・徳川家光に戦国の物語を語る相伴衆としての役目も果たした。

千六百四十二年(寛永十九年)、宗茂(むねしげ)は七十六歳を生きて江戸柳原の藩邸で死去した。

宗茂(むねしげ)は生涯を通じて実子に恵まれなかった為、直系の子孫はいない。

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by mmcjiyodan | 2013-08-24 00:14 | Comments(0)  

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