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松井須磨子(まついすまこ)

松井須磨子(まついすまこ)は日本の新劇女優で本名は小林正子(こばやしまさこ)、松井須磨子(まついすまこ)は芸名である。

千九百二年(明治三十五年)、磨子(すまこ)は数えの十七歳で戸板裁縫学校(現・戸板女子短期大学)に入学する。

翌千九百三年(明治三十六年)磨子(すまこ)は親戚の世話で最初の結婚をするが、病気がちを理由に舅に疎まれ翌年離婚している。

磨子(すまこ)はこの頃から平凡な日常から脱却したいと志し、女優を目指す。

千九百八年(明治四十一年)、二十三歳に成っていた磨子(すまこ)は、同郷(長野県)の埴科坂城町出身の前沢誠助と結婚する。

東京高師地歴科を卒業した夫の前沢誠助は、その年の十一月に「東京俳優養成所」の講師になり、日本史を担当した。

磨子(すまこ)は結婚の翌千九百九年(明治四十二年)、坪内逍遥の文芸協会演劇研究所第一期生となる。

文芸協会演劇研究所第一期生となった磨子(すまこ)は家事がおろそかになる事も多く、千九百十年(明治四十三年)二年間の結婚生活の後に前沢と離婚する。

千九百十一年(明治四十四年)、磨子(すまこ)は「人形の家」の主人公ノラを演じて認められるも、創設者の一人で妻帯者の島村抱月(しまむらほうげつ)と不倫関係になる。

その不倫関係が醜聞となった事で坪内と抱月(ほうげつ)の関係が悪化、抱月(ほうげつ)は文芸協会を辞める事となり、演劇研究所を退所処分となった。

磨子(すまこ)も演劇研究所を退所、千九百十三年(大正二年)、抱月(ほうげつ)と芸術座を旗揚げする。

翌年にはトルストイの小説を基に抱月(ほうげつ)が脚色した「復活」が大ヒット、磨子(すまこ)のカチューシャ役が大当たりし、人気女優となる。

磨子(すまこ)が歌った主題歌・「カチューシャの唄(復活唱歌)」のレコード売り上げも当時二万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。

日本初の歌う女優・松井須磨子(まついすまこ)の誕生だった。

しかし四年後の千九百十八年(大正七年)、愛人の島村抱月(しまむらほうげつ)がスペイン風邪で病死する。

抱月(ほうげつ)の死後も、磨子(すまこ)は芸術座で活動していたが、二ヵ月後の千九百十九年(大正八年)芸術座の道具部屋に於いて後追い自殺(縊死)をした。

詳しくは小論・【大正ロマンに観る好景気と風俗規範】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2013-09-04 11:05  

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