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甘粕正彦(あまかすまさひこ)

甘粕正彦(あまかすまさひこ)は、日本の陸軍軍人で憲兵大尉である。

正彦(まさひこ)は名古屋陸軍地方幼年学校・陸軍中央幼年学校を経て、千九百十二年(明治四十五年)五月に陸軍士官学校を卒業する。

正彦(まさひこ)は陸軍憲兵大尉時代に、無政府主義者・大杉栄(おおすぎさかえ)らの殺害した「甘粕事件」を起こした事で有名である。

千九百二十三年(大正十二年)九月十六日、栄(さかえ)は柏木の自宅近くから、愛人・伊藤野枝(いとうのえ)、甥の橘宗一と共に憲兵に連行され殺害される。

「甘粕事件」は東京憲兵隊麹町分隊長の甘粕大尉が、関東大震災の混乱に乗じて、震災から半月後の九月十六日にアナキスト(無政府主義者)の抹殺を目論んで起した事件である。

殺害の実行容疑者として憲兵大尉の甘粕正彦と彼の部下が軍法会議にかけられ、甘粕正彦(あまかすまさひこ)と森は有罪判決となるも極刑は免れて居る。

正彦(まさひこ)は短期の服役後、千九百二十六年(大正十五年)十月に出獄し予備役となり、千九百二十七年(昭和二年)七月から陸軍の予算でフランスに留学する。

千九百三十年(昭和五年)、フランスから帰国後の正彦(まさひこ)は、すぐに日本を離れて満州に渡り、奉天の関東軍特務機関長・土肥原賢二大佐の指揮下で情報・謀略工作を行うようになる。


千九百三十一年(昭和六年)九月の柳条湖事件より始まる満州事変の際、正彦(まさひこ)はハルピン出兵の口実作りの為に奉天に潜入する。

正彦(まさひこ)は奉天で、中国人の仕業に見せかけて数箇所に爆弾を投げ込んだ。

その後正彦(まさひこ)は、清朝の第十二代皇帝・宣統帝の愛新覚羅溥儀擁立の為、満州国建設に一役買う工作を行う。

溥儀を天津から湯崗子まで洗濯物に化けさせて柳行李に詰め込んだり、苦力に変装させ硬席車(三等車)に押し込んで極秘裏に連行した。

その他、満州事変に関する様々な謀略に、正彦(まさひこ)は荷担した。

働きを認められ千九百三十二年1(昭和七年)の満州国建国後、正彦(まさひこ)は民政部警務司長(警察庁長官に相当)に大抜擢され、表舞台に登場する。

千九百三十九年(昭和十四年)、満州国国務院総務庁弘報処長・武藤富男と総務庁次長岸信介の尽力で正彦(まさひこ)は満洲映画協会(満映)の理事長となる。

満映理事長時代の正彦(まさひこ)は、日本政府の意を受けて満州国を陰で支配していたが、千九百四十五年(昭和二十年)八月の終戦直後、青酸カリで服毒自殺した。

詳しくは小論・【大正ロマンに観る好景気と風俗規範】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2013-09-04 13:48  

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