出雲大社(いずもおおやしろ・いずもたいしゃ)

出雲大社(いずもおおやしろ・いずもたいしゃ)は島根県出雲市にある神社である。

正式名称の読み方は「いずもおおやしろ」であるが、一般には主に「いずもたいしゃ」と読まれる。

出雲大社(いずもおおやしろ)の社格は、式内社(名神大)出雲国一宮で、旧社格は官幣大社である。

現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠(祖廟)である。


古代より江戸時代まで杵築大社(きづきのおおやしろ・きづきたいしゃ)と呼ばれていたが、明治維新後の千八百七十一年(明治四年)に出雲大社(いずもおおやしろ)と改称した。

杵築大社(きづきたいしゃ・きづきのおおやしろ)は、「古事記」、「日本書紀」。「出雲国風土記」などにその存在が記載されている。

杵築大社(きづきたいしゃ)の祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)で、千百四十二年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記された。

千八百七十一年(明治四年)に明治政府により官幣大社に列格の後、大正時代に天皇により勅使が遣わされる勅祭社(ちょくさいしゃ)となった。

神無月(旧暦十月の異称)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われ、為に神はその各地に居なくなり「神無月(かんなづき)」となるのだが、出雲だけは神在月(かみありつき)である。

出雲大社(いずもおおやしろ)の伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言える事は、天津神(大王/天皇)の命によって、国津神である「大国主神の宮が建てられた」と言う事である。

その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代に於ける国家的な事業として行われたものである事が伺(うかが)える。

また、杵築大社(出雲大社)の社伝に於いては、垂仁大王(すいにんおおきみ/第十一代天皇)の時が第一回、斉明大王(さいめいおおきみ/重祚して第三十七代天皇)の時が第二回の造営とされている。


二拝四拍手一拝の作法で拝礼するが、これは出雲大社(いずもおおやしろ)の他には天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る伊勢神宮(いせじんぐう)に次ぐ社格の宇佐神宮(うさじんぐう)だけである。

出雲大社(いずもおおやしろ)は、明治維新に伴う近代社格制度下に於いて唯一「大社」を名乗る神社であった。

但し平安時代初期の延喜式神名帳に大社として列 格される四百九十二の神社、または~大社と名乗る神社も存在するが、大社(おおやしろ)と称するのは、出雲大社(いずもおおやしろ)のみである。

創建以来、天照大神(あまてらすおおみかみ)の子の天穂日命(あめのほひのみこと)を祖とする出雲国造家(いずものくにのみやっこけ)が祭祀を担って来た。

現在の宮司は八十四代国造(くにのみやっこ)・千家尊祐(せんげたかまさ)で、國學院大學を卒業後太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格する。

千家尊祐(せんげたかまさ)は、二千二年(平成十四年)宮司に就任し翌年神社本庁より神職身分特級を拝受している。

また、宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他に類を見ない。

現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。

約六十年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開される事がある。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

詳しくは小論・【因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)伝説と大国主(おおくにぬし)】がお薦めです。

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by mmcjiyodan | 2013-11-05 13:14 | Comments(0)  

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