お歯黒(おはぐろ)
お歯黒(おはぐろ)とは、明治時代以前の日本や中国南東部・東南アジアの風習で主として既婚女性、まれに男性などの歯を黒く染める化粧法の事とされている。
この風習の起源は解っていないが、初期には草木や果実で染める習慣があり、のちに鉄を使う方法が鉄器文化とともに大陸から伝わった様である。
江戸期な成ると、既婚女性、未婚でも十八~二十歳以上の女性、及び、遊女、芸妓の化粧として定着した。
また、江戸期の農家に於いては祭り、結婚式、葬式、等特別な場合のみお歯黒を付けたとされる。
明治維新を迎えると、千八百七十三年(明治三年)ニ月五日、政府から皇族・貴族に対してお歯黒禁止令が出される。
このお歯黒禁止令の対象は皇族・貴族だけだったが、民間でも徐々に廃れ(農村では一時的に普及した事も在ったが)、大正時代にはほぼ完全に消えた。
現代に於いては演劇、花街の行事、一部の祭り、千九百六十年代頃までの時代劇映画(大映等)のDVD等で見る事ができるだけである。
つまり映画やテレビドラマに於いて、時代劇の女優にお歯黒(おはぐろ)の化粧が無いのは「時代考証上間違い」と言う事に成るのだが、実は現代の美観とは相容れない為、近頃ではまったく映像化されていない。
正直なところお歯黒(おはぐろ)は、現代人の感覚では不気味である事も事実だ。
お歯黒に関する記述は「源氏物語」や「堤中納言物語」にも在り、女性のみならず男性貴族、平氏などの武士、大規模寺院における稚児も行った。
このお歯黒の習俗は朝廷(宮廷)で厳しく守られて居たから、后妃を始め仮側室にあたる宮廷女官(皇居内裏女官)や公家衆までお歯黒だった。
特に皇族や上級貴族は袴着を済ませた少年少女も化粧やお歯黒、引眉(ひきまゆ)を行うようになり、皇室では幕末まで続いた。
引眉(ひきまゆ)とは、奈良時代から江戸時代にかけておこなわれた化粧法で、眉を剃るまたは抜く事を意味し、その後に墨で描く化粧法である。
詳しくは関連小論・【大髭禁止令(おおひげきんしれい)と時代考証】に飛ぶ。
【第三巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
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