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十津川郷士(とつかわごうし)

郷士とは民(良民)と武士の間に位置する下級の百姓で、農業従事を生計の糧としながらイザと言う時は戦闘にも参加する家柄である。

その郷士の中でも、特筆すべき存在が十津川郷士(とつかわごうし)だった。

紀伊半島の山間に点在する十津川郷と言う村々がある。

その村の住人は、神武東遷(じんむとうせん)で新宮の浜に上陸した神武大王(おおきみ/天皇)に加勢して以来、歴史的な合戦に参加し続けている。

古くは壬申の乱(じんしんのらん)平治の乱(へいじのらん)南北朝の戦乱大坂の役などなど、十津川郷の郷士は見事な働きをした。


十津川村は日本一の面積を誇る村であるが、人家は谷合に点在する土地柄でほとんどで耕地には恵まれていない。

つまり山深く、田地が少ない米作に不向きな奈良・十津川村は、代々帝(天皇)から年貢を免じられた代わりに兵役を課せられた郷士の里である。

農作に適さない土地柄の事情で、年貢を免じられた代わりに兵役を引き受けていたから、所謂村人の全てが嫌応無しに武人の最下位に位置して居た。

だから現在でも、十津川高校は剣道の名門として全国に知られている。


十津川村が所在する紀伊半島は、畿内に都が落ち着いた端緒となる伝説に包まれた歴史の地である。

神武東遷(じんむとうせん)の折に、神武大王(おおきみ/天皇)が紀伊半島に上陸し、畿内豪族勢に対して、山越えの裏口突破を狙った奇襲作戦を敢行する。

紀伊半島には、「八咫烏(やたがらす)伝説」や榔(ナギ)の木に鈴をつけて道案内をした「穂積姓鈴木氏伝説」など、永きに渡り大王(おおきみ/天皇)の子飼い勢力としての歴史がある。

その紀伊半島子飼い勢力として、古くから十津川地域の住民は朝廷(大王・おおきみ/天皇家)に仕えており、壬申の乱の折にも村から出兵、また平治の乱にも出兵している。

これらの戦功により、十津川郷士は度々税減免措置を受けている。

この減免措置は明治維新期の地租改正まで続き、全国でもおよそ最も永い減免措置であろうと言われている。


後醍醐天皇足利尊氏の覇権争いに端を発した南北朝時も、十津川郷士は吉野の南朝方に尽くしている。

十津川郷は、米のほとんど採れない山中と言う事もあり、室町時代になっても守護職の支配下に入らなかったと言う。

豊臣秀吉が命じたとされる太閤検地時にも、十津川郷は年貢が赦免された。

豊臣家が滅亡と成った大坂の役の際は十津川郷士千人が徳川方となり、近隣の豊臣派の一揆を鎮圧した。

この功も合わせて、江戸時代に入っても大和の五條代官所の下で天領となり免租され、住民は郷士と名乗る事を許された。


むしろ特異とも言える独立独歩の精神からか、現在の十津川村も平成の大合併に際しても、最初から「近隣のどの自治体とも合併する気などなかった」と言われている。

その背景として、十津川は独特の地理的歴史的環境から文化や言語の面でも独自性が強い事が挙げられる。

民俗学者の柳田國男氏も、近畿圏に在りながら東京式アクセントであるその特色について注目している。

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by mmcjiyodan | 2015-01-19 23:02  

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