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津田信澄(つだのぶすみ)

津田信澄(つだのぶすみ)は、千五百五十五年(弘治元年)織田信長の弟・織田信行(信勝)の嫡男として生まれる。

その父・織田信行(信勝)が、二度も謀反の企てを起こしたとして伯父の織田信長によって暗殺される。

謀反人の子であるが、幼少の信澄(のぶすみ)は祖母の土田御前(信長と信行の生母)の助命嘆願もあって、信長の命令により柴田勝家(しばたかついえ)の許で養育された。

父・信行(信勝)の謀反の企ての事もあって、信澄(のぶすみ)は織田氏を名乗らず、津田氏を称したとも言われる。


千五百六十六年(永禄九年)は、織田信長が美濃を平定して美濃・尾張二ヵ国の太守に成った頃である。

この頃、松平元康(のちの徳川家康)が三河を制覇した事により、松平から徳川へ改姓し、従五位下、三河守の叙位・任官を受ける。

家康が朝廷より三河守を拝命した千五百六十六年(永禄九年)、信長に任じられ明智光秀の後援を得て信澄(のぶすみ)は近江国高島(現・滋賀県 高島市)に城を持つ。

信澄(のぶすみ)が与えられた近江国高島郡は、旧浅井家臣の 磯野員昌(いそのかずまさ)が新庄城を居城として治めていた。

つまり磯野員昌(いそのかずまさ)は、勝手に離反して浅井家から独立していた武将であるから、今一度、織田・浅井同盟軍に臣従させる必要が在った。

員昌(かずまさ)は津田信澄(つだのぶすみ)を養子に迎えて家督を譲るよう迫られたところ、これを拒否した為に追放されたと言われる。

高島郡は信澄(のぶすみ)に与えられ、信澄(のぶすみ)は近江国高島城(大溝城)を築いて員昌(かずまさ)の居城・新庄城から移ったされている。

この時点の一説で、近江国高島城築城の縄張りは明智光秀が担当したと言われる。

だが、実は信長と浅井長政が織田・浅井同盟軍として提携する中で、明智光秀がお目付け役として旧浅井領内に城を持った可能性が、最近の細川系文献(家老・米田氏)から読み取れる事実が出た。

同千五百七十八年(天正六年)二月三日、浅井氏旧臣で高島郡を任されていた磯野員昌(いそのかずまさ)が織田家より出奔した為、信澄(のぶすみ)は員昌(かずまさ)の養子として高島郡の所領を加増される。

また同時期に信澄(のぶすみ)は、名は不明だが明智光秀の娘と結婚している。


柴田勝家に預けられた信澄(のぶすみ)は成長し、正確な時期は不明だが天正年間初期に元服したとされている。

元服後の信澄(のぶすみ)は、千五百七十四年(天正二年)二月三日朝に美濃岐阜城で開かれた信長主催の茶会に出席した記録がある。

翌三月には、信長が東大寺正倉院の香木・蘭奢待(らんじゃたい)を切り取る行事の奉行を信澄(のぶすみ)は務めている。

翌千五百七十五年(天正三年)七月の越前一向一揆征伐に信澄(のぶすみ)は従軍、初陣を果たした。

同千五百七十五年(天正三年)十月二十七日に、、細川藤孝(ほそかわふじたか)と親密な関係を持つ神道家の公家の吉田兼見(よしだかねみ)が信長に礼参した際、信澄(のぶすみ)が進物を披露している。

翌千五百七十六年(天正四年)一月十四日、信澄(のぶすみ)は高島郡より上洛した事が確認される為、これより以前に信長より近江に所領を与えられていたと確認されている。

同千五百七十六年(天正四年)には、信澄(のぶすみ)は明智光秀の丹波攻めに援軍として参加している。


同千五百七十八年(天正六年)四月四日、信澄(のぶすみ)は、織田信長嫡男・織田信忠に従い石山本願寺攻めに従軍し、十月から翌千五百七十九年十一月までの荒木村重討伐にも従軍している。

この荒木征伐で開城した摂津伊丹城には信澄(のぶすみ)が入り、村重の正室ら一族三十七名を捕えて京都に護送した。

また千五百八十一年(天正九年)十月、伊賀が平定された際に従兄の織田信忠と共に信長に同道したが、この際に信長に大和を知行する事を望んで信長から諌められたと伝わる。


千五百八十二年(天正十年)春、四国の雄・土佐の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)と織田信長の関係が悪化する。

信長は三男の信孝(神戸)を総大将に丹羽長秀、蜂屋頼隆、そして信澄(のぶすみ)を副将に付けて四国に渡海させる計画を立て、信澄(のぶすみ)は大坂城に駐留する。

そして京都から大坂に向かう徳川家康の接待役を、丹羽長秀と共に命じられる。

千五百八十二年(天正十年)六月二日、舅の光秀が京都にいた信長を襲撃して殺害した「本能寺の変」を起こす。

信澄(のぶすみ)は光秀の娘婿であった事が災いし、三日後の六月五日に信孝(神戸)と丹羽長秀により襲撃される。

信澄(のぶすみ)は、野田城で信孝の家臣・峰竹右衛門、山路段左衛門、上田重安によって二十八歳で殺害され、首級は信孝の命令で堺で晒された。


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by mmcjiyodan | 2015-03-02 17:44  

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