ミッドウェー海戦
ミッドウェイ島は、北太平洋のハワイ諸島北西にある火山島に珊瑚礁が発達した数個の環礁からなり、ミッドウェー諸島とも言う。
日本海軍は当初から、ミッドウェー島を「占領してからの維持は、極めて困難である」と考えていた。
あくまでこの作戦は、米空母群を誘い出して撃滅する事を作戦目的としていた。
さらに占領後には他方面で攻勢を行い、アメリカ軍にミッドウェー奪回の余裕を与えなければ十月のハワイ攻略作戦までミッドウェー島を確保できると考えていた。
ミッドウェー作戦構想は、ミッドウェー島を攻略する事により、アメリカ艦隊、特にエンタープライズとホーネットを主力とする空母機動部隊を誘い出して捕捉撃滅する事に主眼が置かれた。
日本軍がアメリカ軍の要点であるミッドウェー島を占領した場合、軍事上・国内政治上からアメリカ軍はこれを全力で奪回しようとする事は明白だった。
現時点で豪州方面で活動している米空母部隊もミッドウェー近海に出撃する確率は高い、と日本海軍は計算していた。
千九百四十二年(昭和十七年)五月二十七日(海軍記念日)、南雲忠一海軍中将率いる第一航空戦隊(赤城、加賀)、第二航空戦隊(飛龍、蒼龍)を中心とする第一航空艦隊(通称、南雲機動艦隊)が広島湾柱島から厳重な無線封止を実施しつつ出撃した。
この海戦、ミッドウェー島の攻略をめざす日本海軍の侵攻を、アメリカ海軍が迎え撃つ形で発生した。
フランク・J・フレッチャー少将の第十七任務部隊と、レイモンド・スプルーアンス少将の第十六任務部隊がミッドウェー島の北東で合流してフレッチャー機動部隊が編制される。
南雲中将率いる機動艦隊は、ミッドウェー島の航空機部隊の集中雷撃とアメリカ軍艦載機の集中雷撃を浴びる。
アメリカ軍は救助したゲイ少尉の証言から日本軍空母二隻の沈没を確認し、漂流していた飛龍機関科兵の聴取から飛龍の沈没を知り、計三隻の撃沈を確信していた。
赤城については暗号解読から沈没推定としていたが、確信するのは日本軍捕虜の情報を分析した後の事である。
六月十三日、第十六任務部隊のエンタープライズ、ホーネットは艦載機に損失を出しながらも無事に真珠湾に帰港した。
日本海軍の南雲機動部隊とアメリカのフレッチャー機動部隊及びミッドウェー島基地航空部隊との航空戦の結果は決定的だった。
日本海軍は、機動部隊の空母加賀 空母蒼龍、空母赤城、空母飛龍と言う航空母艦四隻とその艦載機を多数一挙に喪失する大損害を被り、この戦争における主導権を失った。
日本軍は、ミッドウェー島基地部隊を「飛行艇二十四機、戦闘機十一、爆撃機十二、海兵隊七百五十名、砲台二十前後」または「哨戒飛行艇二個中隊、陸軍爆撃機一乃至二中隊、戦闘機二個中隊」と過小評価評価していた。
海兵隊三千名、航空機百五十機と言うミッドウェー島の本当の戦力を日本軍が知るのは、空母部隊が全滅した後の捕虜の尋問結果からだった。
この時すでに、日本の軍令部も山本五十六連合艦隊司令長官も、アメリカの強大な軍備生産力が軌道に乗りつつある事を想像して居なかった。
日本とアメリカの軍備の差は現実の国力の差で、幼児が大人と戦うほど開いていたのだ。
軍令部はミッドウェー作戦と並行して同時にアリューシャン攻略作戦(AL作戦)を行う案を加えた。
AL作戦の目的は、アメリカの北方路の進行を阻止するもので、米ソ間の連絡を妨害しシベリアにアメリカの航空部隊が進出するのを妨害しようとするものであった。
ミッドウェー海戦はミッドウェー作戦(MI作戦)の前哨戦であり、この敗北で同作戦は中止された。
しかもこの海戦の敗北を「大本営発表(だいほんえいはっぴょう)」で勝利と情報操作し、以後負け戦を国民に隠し続けた。
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皇統と鵺の影人
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by mmcjiyodan | 2016-06-20 14:06