真珠湾攻撃(日米開戦)の(三)

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鹿児島県での訓練を終えた艦隊は大分県の佐伯湾に集結し、最終演習の後、十一月十八日に択捉島の単冠湾へと向かった。

真珠湾攻撃は、周到精密な計画と多大な成果を得るべく攻撃訓練を繰り返した航空隊と水雷隊の精鋭兵をもって敢行された作戦である。

なお、ワイキキやダウンタウンなどの市街地や非戦闘地域に対する攻撃、非武装の民間人に対する攻撃を禁止する旨が厳重に言い渡されていた。


十二月七日、伊号潜水艦隊から甲標的(特殊潜航艇)が発進した。

十二月八日午前一時三十分(日本時間)ハワイ近海に接近した日本海軍機動部隊から、第一波空中攻撃隊として艦戦四十三機、艦爆五十一機、艦攻八十九機、計百八十三機が発進。

第一航空艦隊参謀長・草鹿大佐は百八十三機が発進したとしているが、爆装の艦攻五十機が戦艦を、雷装の四十機が戦艦および空母を目標とした。

艦爆五十四機は航空基地を、艦戦四十五機は空中および地上の敵機を目標と定めていたという。


午前二時四十五分、第二波空中攻撃隊として艦戦三十六機、艦爆八十一機、艦攻五十四機、計百七十一機が発進した。

草鹿大佐によれば、五十四機の艦攻は航空基地を、八十一機の艦爆は空母および巡洋艦を、三十六機の艦戦はやはり敵機を目標と定めていた。

なお敵空母の動勢は不明であったが、付近を索敵するなどの案は排され、真珠湾攻撃に全力が向けられた。

また、攻撃隊を二派に分けているのは航空母艦の飛行甲板の広さや滑走距離による制限だった。

当時の日本の航空母艦は、搭載する全航空機を全て甲板に並べ、一斉に発進させる事はできなかった。

なお、この攻撃に先立ち陸軍は、イギリスの植民地のマレー半島コタバルで奇襲上陸作戦を行っていた。

真珠湾とマレーで一方が先行すれば、その情報が直ちにイギリスからアメリカに伝えられる事となり、他方の奇襲が成り立たなくなる。

しかし源田中佐の案により、暗闇での発艦を回避する為、攻撃隊の発進は当初の予定より二時間遅れとなった。

この決定を軍令部が把握した時には命令変更の時間がなかった為、三代辰吉中佐がコタバル攻撃部隊へ伝達しない事にした。

これにより真珠湾攻撃は、コタバル奇襲上陸作戦の二時間遅れとなった。

しかし、結果的にマレー上陸の報がアメリカ軍の迎撃体制のゆるみに影響する事はなかった。


ハワイは、現地時間十二月七日日曜日の朝だった。

七時十分(日本時間八日午前二時四十分)に、アメリカ海軍の駆逐艦DD-139「ワード(ウォード)」がアメリカ領海内において国籍不明の小型潜水艦を発見する。

駆逐艦「ワード(ウォード)」の砲撃により、国籍不明の小型潜水艦は撃沈された。

この小型潜水艦が、日本軍の甲標的(特殊潜航艇)で在った。

ワード号は直後に「未識別の小型潜水艦」を撃沈した旨を太平洋艦隊司令部へ打電した。

しかし、ハワイ周辺海域では漁船などに対する誤射がしばしば在り、その重要性は認識されず、アメリカ軍は奇襲を事前に察知する機会を逸した。


七時三十五分(日本時間三時五分)に、海軍航空隊はオアフ島北端カフク岬を雲の切れ目に発見する。

そして七時四十分(同三時十分)に「突撃準備隊形作れ」を意味する「トツレ」が発信され、信号弾が発射された。

この際、奇襲の場合には合図が信号弾1発で火災による煙に妨げられる事ない状況で対艦攻撃を実施させるべく艦攻による攻撃を先行させる。

強襲の場合には、合図が信号弾二発で艦爆による対空防御制圧が先行させる作戦計画になっていた。

だが、信号弾一発で雷撃専門家・村田重治少佐率いる雷撃隊が展開行動を起こさないのを見て空中指揮官・淵田美津雄中佐は、村田少佐が「合図を見逃した」と誤解する。

それでもう一発信号弾を発射、艦爆隊指揮官である翔鶴飛行隊長・高橋赫一海軍少佐はこれを合わせて信号弾二発と誤解し先行した。

間もなく「重巡筑摩」の偵察機から「在泊艦は戦艦一〇、甲巡一、乙巡一〇」との報告がある。

それと前後してラハイナ泊地に向かった重巡利根の偵察機からは「敵艦隊はラハイナ泊地にはあらず」との報告が入った。

草鹿大佐によれば、「重巡筑摩」より、三時十分に入った報告とされている。

七時四十分(同三時十九分)、第一波空中攻撃隊は真珠湾上空に到達し、攻撃隊総指揮官の淵田中佐が各機に対して「全軍突撃」(ト・ト・ト・・・のト連送)を下命した。

七時五十二分(同三時二十二分)、淵田中佐は旗艦赤城に対してトラ連送「トラ・トラ・トラ」を打電した。

これは「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する暗号略号である。

この電波は赤城で中継したが、中継を待つまでもなく広島湾にいた戦艦長門でも、東京の大本営でも指揮官機の電波を直接受信した。

七時五十三分(同三時二十三分)に旗艦・空母赤城から「隊長、先の発信、赤城了解」と返信があった。

奇襲に成功した事を知った草鹿大佐は、南雲機動部隊司令・南雲忠一中将の手を固く握り落涙したと伝えられる。


航空機による攻撃は、八時零分(同三時三十分)に雷撃により開始される予定だった。

だが、これより五分早い七時五十五分(同三時二十五分)に急降下爆撃隊がフォード島ホイラー飛行場へ二百五十kg爆弾による爆撃を開始し、これが初弾となった。

続いてヒッカム飛行場からも爆煙が上がった。

雷撃隊を率いていた村田重治少佐は正しく奇襲と理解し予定通りヒッカム飛行場上空を通る雷撃コースに入ろうとしていた。

だが村田少佐は、ヒッカム飛行場からの爆煙に驚き、目標が見えなくなっては一大事と近道を取り、七時五十七分(同三時二十七分)に雷撃を開始した。

つまり淵田中佐は、飛行場攻撃の爆煙があまり激しくならないうちに水平爆撃を開始する旨を決意し、水平爆撃隊に「突撃」(ツ・ツ・ツ・・・のツ連送)を下命した。

七時五十五分頃に戦艦「アリゾナ」で空襲警報が発令される。

七時五十八分(同三時二十八分)、アメリカ海軍の航空隊が「真珠湾は攻撃された。これは演習ではない」と警報を発した。

八時零分(同三時三十分)、戦闘機隊による地上銃撃が開始され、八時五分(同三時三十五分)、水平爆撃隊による戦艦爆撃が開始された。

八時過ぎ、加賀飛行隊の九七式艦上攻撃機が投下した八百kg爆弾が戦艦「アリゾナ」の四番砲塔側面に命中。

次いで八時六分、一番砲塔と二番砲塔間の右舷に爆弾が命中した。

八時十分、戦艦「アリゾナ」の前部火薬庫は大爆発を起こし、艦は千百七十七名の将兵とともに大破沈没した。

戦艦「オクラホマ」にも攻撃が集中した。

オクラホマは転覆沈没し将兵四百十五名が死亡または行方不明となった。

なお第一波の攻撃の最中に、アメリカ本土から回航されて来たボーイングB-17が五機ヒッカム基地に着陸しようとした。

だが、地上からの連絡を受けて一機は日本軍機の攻撃をよける為にベローズ基地に向かい、残りの四機は無事着陸したものの、瞬く間に攻撃を受けて一機が大破炎上した。


アメリカ東部時間午後二時二十分(ハワイ時間午前八時五十分)野村吉三郎駐アメリカ大使と来栖三郎特命全権大使が、コーデル・ハル国務長官に日米交渉打ち切りの最後通牒である「対米覚書」を手渡す。

日本は「米国及英国ニ対スル宣戦ノ詔書」を発して、先に戦線が開かれていたイギリスと並びアメリカに宣戦を布告した。

この文書は、本来なら攻撃開始の三十分前であるアメリカ東部時間の午後一時に面会し、その際にハル国務長官へ手渡す予定であった。

この「宣戦ノ詔書」を手渡す面会、一旦は「昼食の予定がある」としてハル国務長官に断られていた。

だが、駐ワシントンD.C.日本大使館員の不手際によって結果的には攻撃開始の約一時間後となってしまった。

その為「真珠湾攻撃は日本軍の騙し打ちである」と、アメリカから批判を受ける事となった。

この原因について、駐アメリカ日本大使館の井口貞夫事官や奥村勝蔵一等書記官らが翻訳およびタイピングの準備に手間取った事が要因と言う説明が極東軍事裁判でなされた。

この戦後の極東国際軍事裁判における弁護側のこの弁明以降、日本側の「駐アメリカ大使館の不手際」と言う説明が通説とされて来た。

重要な内容で在った事は、翻訳時に解っていた事である。

ならば、面会に遅延する事を避けるべく、タイピングが終わった部分だけでも予定通りの面会時間に届けると言う判断をしなかった野村や来栖の責任を問う意見も在った。

ハル国務長官も、「そのようにすべきであった」と指摘している。

これに対して、井口貞夫事官の子息で元外交官の井口武夫は、日本側「駐アメリカ大使館の不手際説」に反論している。

まず、「対米覚書」全十四部の中で第十三部ならびに最後の十四部までの訂正電がそれ以前の部よりも十五時間も遅く発信された

また、規定の「至急」と言う指定を公電の冒頭に入れていなかった事を指摘し、軍(陸軍参謀本部)による工作(意図的な遅延)の可能性を示唆している。


真珠湾攻撃(日米開戦)の(四)に続く。

詳しくは小論【真珠湾攻撃(日米開戦)】を参照下さい。


第六巻】に飛ぶ。
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by mmcjiyodan | 2016-06-20 14:09 | Comments(0)  

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