真珠湾攻撃(日米開戦)の(一)

真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき)は、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾に在ったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による攻撃である。

真珠湾への雷撃攻撃は、日本時間千九百四十一年十二月八日未明、ハワイ時間十二月七日に実行された。

この攻撃を、「奇襲攻撃」と言えるかどうかで日米の認識には現在でも主張に異論がある。


千九百三十九年から千九百四十一年々頭に至る頃、日本政府及び日本海軍はABCD包囲網(エィビイシィディほういもう)を実力で打破すべく検討を繰り返していた。

当初の日本海軍は、対米戦争の基本戦略として漸減邀撃(迎え撃ってしだいに減らせる)作戦を有していた。

これは真珠湾から日本へ向けて侵攻してくるアメリカ艦隊の戦力を、潜水艦と航空機を用いて迎え撃ち、しだいに減らさせた上で日本近海に於いて艦隊決戦を行うというものであった。

その戦略が変ったのは、千九百三十九年に連合艦隊司令長官に就任した山本五十六海軍大将が異なる構想を持っていたからである。

アメリカに長期滞在経験を持ち、海軍軍政・航空畑を歩んできた山本長官は対米戦となった場合、開戦と同時に航空攻撃で一挙に決着をつけるべきと考えていた。

為に山本長官は、遥かに若かった十一年前の千九百二十八年(昭和三年)の時点で、既にハワイ攻撃を提唱していた。


千九百四十一年一月十四日頃、連合艦隊司令長官・山本五十六大将から第十一航空艦隊参謀長の大西瀧治郎中将 に「会いたい」と手紙が在った。

大西航空艦隊参謀長は、一月二十六日ないし二十七日頃、連合艦隊旗艦・長門(戦艦)を訪ね、山本長官からハワイ奇襲作戦の立案を依頼される。

山本長官は、日米開戦の已(やむ)むなきに至った場合、「わが方としては、何か余程思い切った戦法をとらなければ対米戦に勝ちを制する事はできない」と大西航空艦隊参謀長に切り出す。

その「余程思い切った戦法」の目標は、太平洋に配備された米国戦艦群である。

攻撃は雷撃隊による片道攻撃とし、開戦劈頭(へきとう/開戦冒頭)にハワイ方面にある米国艦隊の主力に対し痛撃を与え、「当分の間、米国艦隊の西太平洋進行を不可能ならしむるを要す」と続けた。

山本長官は、第一、第二航空戦隊飛行機隊の全力をもってこの目標を達成する為の作戦研究を大西航空艦隊参謀長に依頼したのだ。


鹿児島・鹿屋(かのや)司令部に戻った大西参謀長は、幕僚である前田孝成大佐に詳細を伏せて真珠湾での雷撃攻撃について相談する。

前田大佐からの回答は、真珠湾は水深が浅い為に技術的に「雷撃攻撃は不可能」と言うものだった。

大西参謀長は二月初旬、今度は第一航空戦隊参謀・源田実中佐を呼びつけ、二月中旬に訪れた源田参謀に大西参謀長は同様の質問をした。

源田参謀からは、「雷撃は専門ではないから分かりかねるが、研究があれば困難でも不可能ではない」と言う回答が在った。

大西参謀長は源田参謀に「作戦計画案を早急に作るように」と依頼する。

源田参謀は二週間ほどで計画案を仕上げて大西参謀長に提出、それに大西参謀長が手を加えて作案し、三月初旬頃、山本長官に提出した。

山本長官は、真珠湾の水深の関係から雷撃ができなければ期待する所期効果を得ないので空襲作戦は断念するつもりであった。

しかし大西参謀長、源田参謀案で「不可能ではない」と判断された為、戦艦に対して水平爆撃と雷撃を併用する案になった。


攻撃順序の主目的は戦艦・空母、副目的は航空基地・敵飛行機とした。

敵艦隊が西太平洋を進攻する機動能力を奪う為には、水上艦艇に集中して確実徹底を期すべきと考えた。

戦力を二分しては、敵艦隊と工廠、油槽等施設を攻撃していずれも不徹底に終わる事を懸念しての方針立案だった。

水上艦艇を徹底的に叩けば、大西洋艦隊を割いて太平洋艦隊を増強しても相当長期間その進攻能力を回復しえないと判断して居たのである。


第十一航空艦隊参謀長・大西瀧治郎中将と第一航空艦隊参謀長・草鹿龍之介大佐は、ハワイ奇襲作戦に反対した。

大西中将と草鹿大佐の意見は、蘭印(オランダ領東インド)の石油資源獲得の為に、アメリカの植民地のフィリピン方面に集中するべきとしていたのだ。

だが、山本長官の意見は頑(かたく)なだった。

大西と草鹿の両者に「ハワイ奇襲作戦は断行する。両艦隊とも幾多の無理や困難はあろうが、ハワイ奇襲作戦は是非やるんだと言う積極的な考えで準備を進めてもらいたい」旨を述べる。

さらに「僕がいくらブリッジやポーカーが好きだからと言って、そう投機的だ、投機的だと言うなよ。君達の言う事も一理あるが、僕の言う事も良く研究してくれ」と話して説得した。

十月十九日、連合艦隊参謀・黒島亀人大佐が「この作戦が認められなければ、山本長官は連合艦隊司令長官を辞職すると仰(おっしゃ)っている」と軍令部次長・伊藤整一中将に伝える。

この山本長官の意向を伊藤中将から伝え聞いて驚いた軍令部総長・永野修身大将は作戦実施を認めた。


つまり真珠湾攻撃作戦は、直前に「宣戦布告をする予定」とは言え、勝つ為に何ヵ月も前から「先制攻撃」が計画されていた。

そしてこれがフィクション(架空の創作)ならば、血沸き肉躍る男のアクションドラマかも知れない。

しかしリアルな戦争であれば、手段を選ばない破壊や殺戮(さつりく)の非人道的な行為そのもので、これをワクワク楽しむ感性を持つ人は危険である。

男性の闘争本能を「自らの感性」と主張するに自己陶酔に、人間としての欠陥を理解すべきではないのか?


真珠湾攻撃(日米開戦)の(二)に続く。

詳しくは小論【真珠湾攻撃(日米開戦)】を参照下さい。


第六巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
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by mmcjiyodan | 2016-06-20 14:14 | Comments(0)  

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