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安康大王(あんこうおおきみ/天皇)

安康大王(あんこうおおきみ/第二十代天皇)は、允恭大王(いんぎょうおおきみ/第十九代天皇)の第二皇子・穴穂皇子(あなほのみこ)である。

次代となる雄略大王(ゆうりゃくおおきみ/第二十一代天皇)とは同母にあたる忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)で、応神大王(おうじんおおきみ第十五代天皇)の皇子・稚野毛二派皇子(わかぬけふたまたのみこ)の皇女である。

安康大王(あんこうおおきみ/天皇)は、「宋書」・「梁書」に記される「倭の五王」中の「倭王・興」に比定されている。


允恭四十二年一月に允恭大王(いんぎょうおおきみ)が崩御する。

第一皇子である皇太子の木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)には近親相姦の前科が有った為に群臣は皆従わず、同母弟の穴穂皇子(あなほのみこ)の側に付いた。

木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)の近親相姦とは、同母妹の軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)と情を通じ公に成った事で廃太子されている。


木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)は穴穂皇子(あなほのみこ)を討ち殺そうとして兵を集めるが、群臣が離反していく不利な現況を悲嘆して、物部大前宿禰(もののべのおおまえのすくね)の家に潜んだ。

しかし穴穂皇子(あなほのみこ)が率いる兵に包囲され、物部大前宿禰(もののべのおおまえのすくね)の計らいで戦は避けられたが、軽皇子(かるのみこ)は自裁した。

尚、別説として「古事記」では「伊余湯=伊予湯(いよのゆ:愛媛県松山市)に流罪となった」と記される。


こうして、穴穂皇子(あなほのみこ)は允恭四十二年十二月に践祚(せんそ/天子の位を継ぐ)し、安康大王(あんこうおおきみ/天皇)として即位した。

安康元年、安康大王(あんこうおおきみ/天皇)は根使主の讒言を信じて大草香皇子(おおくさかのみこ/仁徳天皇の皇子)を誅殺し、翌年にその妃であった中蒂姫(なかしひめ)=中磯皇女(なかしのひめみこ)を皇后に立てた。


安康三年八月九日、安康大王(あんこうおおきみ/天皇)は中蒂姫(なかしひめ)の連れ子眉輪王(まよわのおおきみ)により暗殺された。

安康大王(あんこうおおきみ/天皇)は皇太子を指名する事なく崩御したが、従兄弟の市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ/履中大王・りちゅうおおきみ/天皇の皇子)を皇位継承者に立てる腹積もりであったとされる。

「古事記」と「旧事紀」には享年五十六歳、「帝王編年記」に享年五十四歳と伝えられる。


大王(おおきみ/天皇)が暗殺されたのは、他に崇峻大王(すしゅんおおきみ/第三十二代天皇)の例がある。


ただしこの頃の大王(おおきみ/天皇)の物語は、時系列からすると古事記・日本書紀の編纂からはかなり以前の事で、編纂までの間に為政者の都合による創作が紛れ込んでも違うとも正しいとも証明が出来ない。

注)初代・神武大王(じんむおおきみ/神話・伝説上の初代天皇)から第二十五代・武烈大王(ぶれつおおきみ/第二十五代天皇)までを「上古天皇」と分類している。

参考・【古事記・日本書紀の皇統神格化疑惑】を参照下さい。


◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2017-07-31 15:23  

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