反正大王(はんぜいおおきみ/天皇)

反正大王(はんぜいおおきみ/第十八代天皇)は、仁徳大王(にんとくおおきみ/第十六代天皇)の第三皇子である。

反正大王(はんぜいおおきみ/第十八代天皇)は、履中大王(りちゅうおおきみ/第十七代天皇)允恭大王(いんぎょうおおきみ/第十九代天皇)の同母兄弟である。

つまり第十七代・履中(りちゅう)、第十八代・反正(はんぜい)、そして第十九代・允恭(いんぎょう)は、全て仁徳大王(にんとくおおきみ/第十六代天皇)の皇子である。

そして、この三代の大王(おおきみ)は、葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)の女子・磐之媛命(いわのひめのみこと)が同じ母である。


多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)は、淡路宮(所在地不詳、淡路島なのか?)で生まれ、容姿美麗であった。

生まれながらにして綺麗な歯並びであったので、瑞歯別(みずはわけ)の名があるという。


古事記」によれば、身長は九尺二寸半(約3.04m)、水歯別命(みずはわけ/多遅比瑞歯別尊)である。

多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)の名は、歯の長さが一寸、広さ(厚さ)は二分(4ミリ)で、上下等しく整っており、歯を褒め称えて、「水歯」と名付けられたことによる。


仁徳八十七年、父・仁徳天皇の崩後、叛乱を起こした同母兄の住吉仲皇子をその近習である曽婆訶理(隼人)を利用して直接手は下していないものの誅殺した。

履中二年一月四日に、多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)は、立太子(皇太弟)する。

反正六年三月十五日に履中大王(りちゅうおおきみ/天皇)が崩御し、翌反正元年一月に即位する。

三代に渡る、皇位の兄弟継承はここに始まる。


反正年八月六日、共に和珥木事(わにのこごと)の娘である和珥津野媛(わにのつのひめ)を皇夫人に、和珥弟媛(わにのおとひめ)を妃に立てる。

反正大王(はんぜいおおきみ/天皇)は、同母兄弟の二大王と異なり皇族の妻を娶ることはなく、皇太子も立てず、子孫が即位することもなかった。

反正年十月、反正大王(はんぜいおおきみ)は河内丹比を都とする。

天下太平であり、何事もなく在位五年間、反正大王(はんぜいおおきみ)は、反正五年一月に崩御する。

「古事記」,「水鏡」に拠れば、反正大王(はんぜいおおきみ)六十歳での崩御である。

「古事記」に従えば、崩御した「丁丑年七月」は西暦四百三十七年に相当し、生年は逆算して、兄・履中大王(りちゅうおおきみ)より九歳年下の西暦三百七十八年に相当するが、定かではない。


反正大王(はんぜいおおきみ/天皇)の在位について、実態は明らかでない。


◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。


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by mmcjiyodan | 2017-08-05 17:11 | Comments(0)  

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