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安閑大王(あんかんおおきみ/天皇)

安閑大王(あんかんおおきみ/第二十七代天皇)は、継体大王(けいたいおおきみ/天皇)の長子である。

母は尾張目子媛(おわりのめのこひめ)と伝えられている。

安閑大王(あんかんおおきみ/天皇)は、仁賢大王(にんけんおおきみ/天皇)の皇女である春日山田皇女(かすがのやまだのひめみこ)を皇后としている。

他に妃を三人持つが、皇子皇女の記述は記紀(古事記・日本書紀)に無い。

この安閑大王(あんかんおおきみ/天皇)、「日本書紀」では、諱を「勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)別に(まがりのおいねのみこ)とも読む」としている。

古事記」では、和風諡号に広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)、「日本書紀」に広国押武金日天皇(読み古事記と同じ)とある。


安閑大王(あんかんおおきみ/天皇)は、父・継体大王(けいたいおおきみ/天皇)の崩御を受けて六十六歳で即位するも、わずか四年で崩御した。

「安閑記」に、安閑大王(あんかんおおきみ/天皇)の治世の出来事として、関東から九州までの屯倉(みやけ)の大量設置と、四十一箇所の屯倉の名が列挙され、これに伴う犬養部(いぬかいべ)の設置が記されている。

なお、「日本書紀」によれば、「百済本記」から引用された所伝で、五百三十一年頃に天皇と太子・皇子が共に薨去した」と言う記述がある。

この事から、継体大王(けいたいおおきみ/天皇)の死後、安閑大王(あんかんおおきみ/天皇)・宣化大王(せんかおおきみ/天皇)の朝廷と欽明大王(きんめいおおきみ/天皇)の朝廷が並立し、二朝間で内乱があったのではないかとする「辛亥の変説」もある。

後世、神仏習合の教説で安閑大王(あんかんおおきみ/天皇)を蔵王権現と同一視されたため、明治時代の神仏分離以降に、従来蔵王権現を祭神としていた神社で安閑大王(あんかんおおきみ/天皇)を祭神とし直したところが多い。


ただしこの頃の大王(おおきみ/天皇)の物語は、時系列からすると古事記・日本書紀の編纂からはかなり以前の事で、編纂までの間に為政者の都合による創作が紛れ込んでも違うとも正しいとも証明が出来ない。

参考・【古事記・日本書紀の皇統神格化疑惑】を参照下さい。


◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2017-10-30 13:00  

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