侘びさび恥の文化

考えるに、日本の文化を担うのが、「侘びさび恥の文化」と言う、どちらかと言うと地味な美を愛でる感性(性格/精神)の文化である。

この感性の根底には、統治者が「領民(庶民)の浪費を嫌う」と言う統治上の思惑があり、仏教の布教に伴なって「節約が美徳」と教え広げ、それが永く定着して日本人の感性と成った。

同じ仏教寺院でも、他国の寺院は基本的に金ぴかばかりであるから、世界的に見ても、落着いていて美しい様式美のすばらしい精神世界を含む、日本の建造物や技術工芸、舞台芸術などの精神文化の感性は、けして悪いものではない。

つまり日本人の感性は、派手さを恥と嫌い、地味な中に「奥ゆかしさ」の美を求めた。

だが、そんな建前とは裏腹に、権力者が豪華な建造物を建て、金ぴかにしたり、傾向(カブキ)者が現れて、殊更派手な衣装振る舞いで自己顕示するなど、別の側面も持ち合わせていた。

所が、時代が下がるに従って、その時代背景などの要因から、永く続いた武家社会の時代に「侘びさび恥の文化」が至上のものと成り、精神思想や感性として定着して行った。

結果、現在の日本人は至極当たり前の事として「侘びさび恥の文化」の中に生きている。

しかし、「侘びさび恥の文化」が影響し過ぎて歪(ゆが)んでしまったものもある。

感性の基本が「侘びさび恥」であるから、何事に対しても、地味で「奥ゆかしい」と言う抑圧的な暗い発想に成る。

この地味な性格の「侘びさび恥の文化」の感性が、本来在って当然の「性本能や性欲」を、建前、酷く陰湿なものに位置付けさせているのではないだろうか?

生物である以上、性欲は「基本的本能」である。

それを、日本人は限りなく陰湿なものにしてしまう所に、「侘びさび恥の文化」の感性の行き過ぎた影響を感じさせる。

この日本人の感性は、持って産まれたものではない。
両親を含む社会環境が醸成させたものである。

母親の味や土地柄の味と言った味覚と同じで、経験的に記憶し、認知していくものである。

従って個人に記憶された味を、別の者が食しても口に合わない事態も起こり得る。

同様に、性に対する「暗く抑圧的な感覚」も社会環境が後天的に醸成させたものである。

勿論、他国においても「性」に対する制約(タブー)は存在するが、もっと明るい感覚で、日本ほど陰湿な感覚で捉える国は少ない。

また、日本式に「性」を抑圧的な暗い発想で、建前「忌みもの」のように扱う事が「性犯罪を抑止すると」考えるのは、ばかげたものの考え方で、明るく正しく必要なものとして扱うべきものである。

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皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2008-04-27 15:06 | Comments(0)  

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