本多忠勝(ほんだただかつ)

本多忠勝(ほんだただかつ)は松平氏の三河安城・旧譜代家臣・本多氏の一族である。

この本多氏は、あくまでも自称・通説の類であるが藤原氏北家・兼通流の二条家綱の孫と自称する右馬允秀豊が豊後国の本多郷を領した事からその時に本多氏と称し、その後裔がやがて三河国に移住したとされている。

本多忠勝(ほんだただかつ)は徳川四天王に数えられ、千五百八十二年(天正十年)本能寺の変が起きた時、徳川家康は本多忠勝ら少数の随行とともに堺に滞在して居り、忠勝は「伊賀越え」の指揮を行って居る。

忠勝は家康の関東に移封に際し上総国大多喜(千葉県)十万石を賜って、榊原康政(さかきばらやすまさ)と同列に直臣家臣団の二位に序せられている。

しかし徳川政権が確立するに従い、理由は定かでは無いが古参譜代家臣の本多忠勝(ほんだただかつ)は次第に江戸幕府の中枢から遠ざけられ、その晩年は不遇だった。

唯一考えられる理由が、我輩の推論通りに松平竹千代双子説であれば、本多家が家康から疎んじられる説明が着く。

この本多家、その後転封を繰り返して姫路藩などを経由し、本多家は三河岡崎藩五万石に落ち着いたが、幕閣の要職には恵まれなかった。

【松平竹千代双子説】についてはこの物語の第三巻の核心部分の一つですので【第三巻】をお読み下さい。


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by mmcjiyodan | 2008-04-27 19:30 | Comments(0)  

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