武士道の精神

日本と言う国は、皇統を始めとする血統至上主義氏族社会が永く続いたので、現代の人々も未だに血統に対しては異常な程「氏族で在りたい病」として反応する。

現代人もそうした心理背景を思考の中に内在しているから希望的に先祖が氏族で在る事を望み、儒教・儒学(朱子学)を基本として採り入れた「武士道精神」などと言う綺麗事に騙され易い。

言って置くが、或る目的の為に武士と言う者が発生したのは平安初期頃の事で、武士道の精神などと言う五パーセントの占有率の職業精神が成立したのは江戸期に入ってからである。

だいたいに於いて、多くの日本人が日本武士の発生ルーツや変遷をも知らないで、「格好が良いから」と「日本を武士道の国」と観念的に括ってしまう。

「武士道を格好が良い」と想っている方と「戦艦大和が格好が良い」と想っている方が共通しているのは、表面的な格好良さだけを見ている事である。

武士道精神には建前の格好良さとは違う本音が存在し、戦艦大和にはその見かけの美しさにはそぐわない哀しい歴史が存在し、「戦艦大和症候群」なる言葉まで残った。

それに「武士道精神」などと言う綺麗事は、大衆受けを狙った執筆や似非政治家などの利用しに掛かる者はともかく「格好が良い」などと本気で想っている者は、単純稚拙なお人好しである。

何故なら、武士道精神礼賛の裏返しは、ジュピター・コンプレックス(被支配の願望)であり、精神心理的には余り格好が良いものではない。

勿論、右脳域の感性に於いて「武士道の精神」は理解できない訳では無いが、左脳域の理性に於いては、武士道精神は凡(おおよ)そ現実的ではない幻想の世界である。

武士道が成立したきっかけは、安土桃山期の事である。

甲斐源氏・武田信玄と戦った「三方ヶ原合戦」に破れた徳川家康は、命からがら逃げ帰り、切羽詰まった家康は、心理の裏を書き、浜松引馬城の城門を開け放ち、明々と篝火を焚かせた。

本音の所は、城門を閉じてしまえば、逃げ込んで来る後続の味方の兵を収容出来なく成ってしまうからだが、武田方ではこの所作を「何か計略があっての事」と疑いを持つ。

敗戦に追われて逃げ込みながら城門を閉めないとは、余りに常識外だったからである。

武田信玄は、深読みで警戒し、ついに城門を開け放った浜松引馬城を攻めなかったのである。

この徳川家康、良く言えば慎重、悪く言えば臆病な性格で、勇猛な武門の将とはイメージが少し違う。

だが、勇猛なだけでは天下は取れない事を、源頼朝が証明している。

幾ら勇敢でも、死んでしまえば勝利には成らない。

「臆病」と言われるほど慎重に事を運ぶ者が、決着は遅くても勝利に結び付く事が多いのである。

関が原の戦いでもそうだったが、戦いの勝利と共に、その前後の対処が彼の天下を握る過程を有利にして居る。

その臆病な家康が城門を開けて居たのには、彼の運命をも決定つける「彼の性格があった」のである。

ここで家康の心情であるが、浜松引馬城に逃げ帰るまでに、身を捨てて自分を守った部下達を、見捨てられなかったのだ。

それ故、戦場から落ちてくる部下を、ギリギリまで救おうとして城門を開け続け、結果その事が自分を救う事になったのである。

当然ながら、家康の家臣思いの心情は戦場(いくさば)において掟破りであるが、家臣に「信頼するに足りる棟梁」と通じる。

戦国期に在ってこそ、互いの信頼がいかに大切なのかを、この一事に教えられる。

この経験は、家康生涯の宝となり、後の盟友を信じる生き方と時々の決断の糧として、大いに生かされ、盟友に導かれて、天下取りに進んで行く事になる。

この徳川家康と三河家臣団の結び付きが、後の徳川幕府成立後に武士のあり方の手本となり、江戸期の「べき論」として「武士道の精神(さむらい魂)」が、成立する。

つまり「武士道の精神」は、僅(わず)か江戸期の約二百五十年間に、それも国民の十パーセント(三パーセント前後)にも満たない武士と言う名の「奉職役人・官僚」身分の者の間だけに在った精神である。

徳川家康と三河家臣団の結び付きは、首領(武家の棟梁)である家康の家臣に対する気配り思い遣りが前提に在っての新しい信頼関係で、徳川幕府成立以前の武士には江戸期における「武士道の精神」などはなく、下克上(げこくじょう)の世界だった。

昔の主従関係には思想的に家族主義が在り、鎌倉期の御家人呼称で判るように棟梁には一家内一族の生活を支える責任の側面が在った。
江戸期の中期頃までは徳川家の直参家臣は御家人で、各大名諸侯の家臣は藩士では無く家中の家来と呼んでいた。

つまり武士道は、一家内一族の生活を支える棟梁側の責任を前提とするもので、その一方が欠けた精神論だけにしてしまったのは明治政府の皆兵政策からである。

それ故、この「武士道の精神」もって「日本人の心」と言い張るのは、いささか格好の付け過ぎであり、この幻想を利用して国民を戦地に送った大戦が、ほんの一世代前に在った事を忘れてはならない。

近頃「日本は武士道の国だ」とやたらに強調する連中が居るが、それは本当だろうか?

我輩の解釈では、武士道の真髄は「自らを律し、時に責任に対して潔(いさぎよ)い事だ」と解釈しているがそれは権力者が下位の者に要求する幻想的な綺麗事であり、つい最近の政治家を含め過去の歴史上で権力者が自ら潔(いさぎよ)かった事など過って全く思い当たらない。

貴方は武士道の国らしく潔(いさぎよ)かった人物を、この二千年を越える歴史の上で何人知っているのか?
詰まり我輩に言わせれば、「武士道とは、権力者に踊らされる事と見つけたり」と言う事である。

上位者が金輪際律しない「武士道の国の綺麗事」を「混乱する現代社会を律しよう」とする試みを声高に言う連中は、格好は良いかも知れないが歴史的現実を無視した理想主義者の建前に終始した「たわ言」である。
幾ら精神論だとしても、この情報化社会に在って高度な教育を受けさせた世代に「日本は神の国だ。」や「日本は武士道の国だ。」と言った所で懐疑的に受け取られるだけである。

「日本は武士道の国」と格好つけても武士(氏族)は、明治維新の時点でも全体の五パーセント足らずだった。

「実(じつ/理性)」の現象で考えたら在り得ない「不思議な現象が起こった」とされる事が「虚(きょ/感性)」の現象で、それらの目的は特定の人物のカリスマ(超人)性を創造する事である。

その「虚(きょ/感性)」の現象が語り継がれると「神話や信仰の世界」なのだが、そう言う意味では、日本人の武士道精神も広い意味で「虚(きょ/感性)の範疇に在る」と言える。

つまり憂うべきは、日本史の一般常識(じょうしき)とされる中に、「虚(きょ/感性)」の歴史が当たり前の様に混在し、入試試験やクイズ番組等で「正解」とされている事である。

本来日本人が世界に誇るべきは、おのれを殺し人を殺める武士道の国なんかではけしてない。

世界に誇るべきは、しなやかだった日本人の「共生主義」の行き方である。

数の上では圧倒的に多い庶民(原ポリネシア系縄文人の子孫)の生活意識が、「本当の日本人の心」と思うのは我輩だけだろうか?

詳しくは【国家の品格・武士道の国・日本のまやかし】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2008-04-27 21:11 | Comments(0)  

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