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武芸百般(ぶげいひゃっぱん)

元々武士の素養とされる言葉に「武芸百般」がある。

この「武芸百般」の意味に於いて、武芸を武術と同じ意味に取り違えているから、思考に始めから錯誤が生じる。

後の世において、芸を「軟弱なもの」と決め付ける先入観が、この錯誤を作ってしまった。

本来、「武芸」の「芸」はあくまでも「芸」で、およそ武士たる者、歌いの一声、舞の一指し、鼓(つづみ)の一打ちも「たしなむ」のが素養とされていた。

その素養意識が、武士のルーツである垣根の無かった神官・神事に通じる神楽舞から「連綿と続くもの」だからである。

従って教養豊かな武人こそ尊敬され、武人の「芸」は、磨くべきものだった。

諜報活動兼芸能従事者に関わる氏族出自の者は、実は修験道から派生した武術忍術の技能集団であり、諜報分野においては情報収集、及び広報活動が要求される事から、遊興を通じての情報収集や、民衆に意図的なプロパガンダをする目的手段としての氏族芸能従事者は存在したのだが、詳しくは次巻以降の、物語の中の記述に譲る事にする。

巫女舞や神楽から始まった祈りの儀式も、南北朝時代や室町時代になると、氏族の諜報活動兼芸能従事者の中から、観阿弥・世阿弥親子のように猿楽を猿楽能として大成させる者も出て来る。

彼らは、明らかに氏族の出自だった。

ほかにも、歌舞伎や人形浄瑠璃と言った日本の古典芸能は、こうした氏族の諜報活動兼芸能従事者の下で育まれたのであるが、これを、被差別民衆が「芸能と関わる側面が大きかったから」と言って、「賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)」と言う被差別民衆の間から、「種々の芸能が生まれた」とするのは、明らかに間違いである。

影人として芸能関係を装い、諜報活動をしていた彼らは、「武士道精神」と言う儒教(朱子学)の建前の犠牲になった。

例えて言えば、江戸期の見世物小屋で披露された「軽業師」の技も、元は修験道の術(忍び術)が「基礎に成って居た」と考えられる。

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by mmcjiyodan | 2008-04-27 21:10 | Comments(0)  

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