富士川の戦い(ふじかわのたたかい)

富士川の戦いは、言わば臆病者同士の戦いである。

石橋山の合戦に破れ、房総半島(安房国)に逃れた源頼朝は、安房国で大勢を建て直し、僅か二ヶ月弱で関東武士十万余を味方にして相模国鎌倉に陣を構える。

朝廷を力で抑えていた平家政権にとってはこの源頼朝の所業は反乱である。

これを知った平清盛は、頼朝追討の宣旨を願い出て総大将(追討大将軍)に平維盛(たいらのこれもり)を据え、反乱鎮圧の兵を編成する。

頼朝追討の宣旨を受けた平維盛(たいらのこれもり)率いる数万騎が駿河国へと達すると、頼朝はこれを迎え撃つべく鎌倉を発し、翌々日に黄瀬川で甲斐の武田源氏・武田信義、舅の北条時政らが率いる二万騎と合流する。

富士川の戦いで維盛軍と対峙し、水鳥の飛び立つ音に浮き足立った維盛(これもり)軍を破る。

敗走する平家軍を追撃して殲滅するチャンスだったにも関わらず、臆病者の頼朝は深追いする事無く兵を引いている。

富士川の戦い(ふじがわのたたかい・「浮島ケ原」と呼ばれる湿地帯)とは、平安時代後期の治承四年十月二十日に駿河国(静岡県)富士川で、源頼朝の兵(関東武者)と追討の為に派遣された総大将・平維盛(たいらのこれもり・弱冠二十三歳・平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男)ら平氏方(関西武者)の兵が戦った合戦であり、源平合戦と呼ばれる一連の戦役の一つである。

平維盛(たいらのこれもり)は、源頼朝の挙兵に際し追討大将軍となるが、富士川の戦い(富士沼(浮島原)から飛び立った数千羽の水鳥の羽音)で水鳥の羽音に驚き敵軍の来襲と誤り敗走(ただし、羽音によって源氏方の武田軍の夜襲を察知して一時撤退を計ろうとしたところ、不意の命令に混乱して壊走したと言う説もある)して散り尻に都へ逃げ帰り、祖父・清盛の怒りを買う。

この平家方頼朝追討軍、永年の都暮らしで「公家化して軟弱に成って居た」と言われて居る。

第二巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2008-04-27 21:14 | Comments(0)  

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