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根来寺(ねごろじ)

比叡山・延暦寺天台宗の総本山である。

京都の鬼門にあたる北東に位置する事もあり、比叡山は王城鎮護の山とされた。

その後、円仁、円珍の活躍により密教が極められ、現在の天台宗の形が完成する。

明智光秀(あけちみつひで)(南光坊・天海僧正)と徳川家康(とくがわいえやす)には、実は長い宗教的歴史に於いて庶民の出自である豊臣秀吉などには預かり知らない繋がりがあった。

そして、天海僧正は風水学などの方位に通じ、密教の諸学問を修めていた。

真言密教の本拠の一つに、高野山・根来寺がある。

根来寺は、平安末期の千百三十二年、興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん)上人が、高野山に大伝法院を建てたのが源流である。

上人は二十歳の頃に高野山に入ったが、その名声や地位が高まると、元々高野山にいた僧侶の反発を招いた。

上人は争いを避け、当時の地位を全て弟子に譲って根来の地に移り、千百四十三年に世を去った。

妙見信仰と真言宗及び天台宗の僧兵や陰陽師修験者が習合して陰陽山伏が生成され、その教理を全国津々浦々に運んで行く。

その本拠の一つが真言宗の根来寺であり、その僧兵から名高い根来衆が生まれた。

根来衆は「忍者」と解されているが、厳密には根来寺に本拠を置く東密修験道陰陽山伏(僧兵)が正しい。

布教と、民を祟り病から救う呪詛の業、そして修験者根来衆の別の顔は、山師(鉱脈師)であり、踏鞴を用いる鉄精錬師である。

当然の事ながら、全国の情報も集ってくるから、諜報能力もある。

戦国期の根来寺僧兵は、種子島から鉄砲(種子島)生産の技術を得て、新兵器鉄砲をいち早く取り入れた強大な武装勢力であった。

鉄砲の知識については、根来寺にいた杉之坊が、津田監物(けんもつ)を種子島に遣わして鉄砲を入手し、根来坂本の鍛冶師の芝辻清右衛門に「研究させて作らせた」との伝承がある。

つまり当時の渡来近代兵器「鉄砲」が、根来衆の別の顔、山師(鉱脈師)、踏鞴鉄(たたら)精錬師、鍛冶師の範疇で「国産化された」と言う訳である。

平安後期の千百二十六年(大治元年・奥州藤原清衡の没年)に建立された新義真言宗総本山・根来寺は、室町期以降に大きく発展し、戦国期には九十八院、僧坊二千七百坊、寺領七十万石、僧兵数万人となり、紀伊・和泉・河内に跨る一大勢力を誇った。

ちなみに織田信長(おだのぶなが)が尾張を平定、岐阜城を斉藤氏から攻め取った段階の尾張、美濃二ヵ国の合計が八十~百万石程度で、当時の根来寺がいかに強大な宗教勢力で有ったかが判る。

よく知られる僧兵の根来衆は、現在の一般的なイメージの頭巾と黒(灰色)の装束の忍者姿ではなく、実際はザンバラ髪で野良着に兜や鎧を着けていた。

伊賀衆、甲賀衆、などもこの類で、平常「私は忍者です」みたいな服装をする訳は無く、彼らは普段野良仕事もする山地の国人である。

彼ら山の国人が、天台宗の本山派(天台山伏)、真言宗の当山派(真言山伏)と習合して呪術(呪詛)を含む多くの知識を駆使していた事を、後に忍術と評したのであろう。

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by mmcjiyodan | 2008-04-27 23:46  

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