天下布武(てんかふぶ)

織田信長(おだのぶなが)は誰にも言わなかったが、天下統一後の国家運営など、「天下布武」を打ち出した時には既に決まっていた。

天下布武は、織田信長が美濃攻略後に井ノ口を岐阜と改名した頃からこの印を旗印として用いている。

天下布武の意味する所は、織田信長の天下取の政策を表したもので、「武力を持って天下を取る」または「武家の政権を以て天下を支配する」と解釈されるが、信長はキリスト教の宣教師(イエズス会)・ルイス・フロイスを通して西欧文明の事情に接していたから、信長自身で帝国を起こす野望を抱いた事も充分に理解できそうである。

それは、当時の普通の日本人なら、驚愕に価する考え方だった。

だが、天才信長にしてみれば、それは「至極当然の答え」としか思えなかったのだ。

天下布武は、織田信長の天下武力統一の野望である。

織田信長は、京に上り畿内の勢力を掃討し、ようやく近隣に敵の姿は消えた。

信長には「天下布武」の終着点が見え始めていた。

早いものであれから幾年経ったのやら、戦に続く戦の日々が続いた。

主導した「楽市楽座」が当って、安土の城下は賑わいを見せていた。

この楽市楽座に拠る構造改革政策は織田信長以前から始まりを見せ、各地の大名も自領内で採用していたから信長の発案とは言い難いが、勢力の拡大と伴に広域で実地された点で、信長が為した政策と評して良いだろう。

いずれにしてもこの楽市楽座(らくいちらくざ)政策は織田家の財力に貢献し、更なる勢力拡大に財政面で貢献した事に変わりはない。

「見ろ、知恵と平穏を与えれば商いは盛んになる。」
信長は、自らの治政に自信を持って居た。

この「楽市楽座」に拠る経済振興政策の原点は、織田家の旧主城だった勝幡城(愛知県中島郡)近くの商業都市「津島湊」での自由商業都市の経験と堺の賑わいを生かしたもので有る。

この「天下布武」と言う織田信長の偉業の原動力が、「母の愛に飢えた息子のあがきだ」と言ったら貴方は信じるか?

織田信長を「天下布武」に走らせたには、信長にとって同腹弟・織田信行(おだのぶゆき/信勝)と母・土田御前(どたごぜん)の不幸な存在が大きかったのではないだろうか?

信長の母に愛されなかった不幸】に続く。

関連記述
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第三巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
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by mmcjiyodan | 2008-04-28 02:49 | Comments(0)  

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