泰澄(たいちょう)

陰陽道のスーパースター泰澄(たいちょう)は、伝説の人物で有る。

この伝説の存在が、修験陰陽の本質を現している。

謎の大物修験者、泰澄(たいちょう)大師が、奈良時代初期に現れた事になって居る。

これが白山信仰の元になったのだが、どうも後の世の修験者達の創作らしい。

伝承によると、越の大徳(こしのおおどこ)と言われる泰澄(たいちょう)大師は越前の麻生津、現在の福井市三八社町、県立音楽堂の近くで生まれた。

十四歳で織田町の越知山で修行し、七百二年(大宝二年)文武天皇から鎮護国家の法師に任じられ、その後七百十七年(養老元年)、三十五歳の時、美しく尊い女性の夢を見て、加賀国白山に登り妙理大菩薩を感得した。

女性が出てくる処が修験道らしいが、これが白山信仰の始まりで、「十一面観音が白山の神様になる」と言う下りまで来ると、この頃帰朝したばかりの弘法大師(空海)の持ち帰った密教の経典に辻褄を合わせた様な話だ。

大徳(おおどこ)は冠位十二階の最高位である。

その最高位の者が、「存在を確認できない」とはどう言う事だろうか?

つまり、「越の大徳」は存在しなかったのではないのか。

泰澄(たいちょう)は有名な「役(えん)の行者(小角・おずぬ)」に続く、山でのスーパーマンの様な修験者で、修行の傍ら全国に「泰澄が開いた」と言う神社や寺は「二府十七県にもなる」と言われ、更に白山神社と名の付いた神社は北海道、宮崎、沖縄をのぞく四十四県二千七百を越える。

これらの高僧に拠る奇蹟は、民衆の信仰を集める為、「陰陽修験が協力した」と考えられる。

しかしながら、泰澄(たいちょう)は伝説上の人物扱いで、正式な文献(正史)には、存在を確認するに足りる何の記載も無い。

修行をしながら全国に神社を開くは、通常なら「在り得ない事」である。

何故なら代理の者、修験山伏達の仕事でなければ、こんなに広域に足跡など残せない。

泰澄(たいちょう)は恐ろしく呪力が強く、様々な奇蹟を起こしているのだが、その内容がとても人間業とは思えないものである。

もっとも、当時最先端の科学知識を持った者が、無知な民人を驚かすくらい、「造作がない」と、覚めた目で見ると、それなりの奇蹟はあったのだろう。

果たしてそれほどの実力者が、当時の陰陽寮に関わりも無く、存在し得ただろうか?

泰澄(たいちょう)には現在でも実存説、神話的伝承説の両説があるが、修験山伏達の、庶民信仰の喚起を狙った「ヒーロー創りの流言」だったかも知れない。

よしんば、それらしき人物が居たとしても、およそ聖者の類は相当誇張されて後の世に伝わりそれが信仰の対象になるのが常識的である。


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皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2008-04-28 05:47 | Comments(0)  

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