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蘇我入鹿(そがのいるか)

蘇我入鹿(そがのいるか)は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・葛城皇子)中臣鎌足(藤原鎌足)らに宮中で襲われた乙巳の変(いっしのへん・おっしのへん)の変事に拠って討ち取られた。

これには、切羽詰った事情が有った。

中大兄皇子の母、皇極天皇が、蘇我入鹿(そがのいるか)の愛人で有ったからだ。

女帝だって女性で、愛人の男の一人くらい居ても良い。

しかし相手が悪い。

皇極天皇と蘇我入鹿の間に皇子が出来ると、中大兄皇子の天皇即位の目が消え、天皇の皇統が、そちらに流れる危険があった。

そうなれば、正しく蘇我帝国である。

この頃、蘇我馬子の子、蘇我蝦夷(そがのえみし)、孫の蘇我入鹿(そがのいるか)が、代々大臣(おお・おみ)として、大和朝廷にあったが、その実、「蘇我御門(そがみかど・天皇)として新朝廷を創った。」或いは、「蘇我大王」とする学者も多い。

蘇我氏(そがうじ)は、乙巳の変(いっしのへん・おっしのへん)の変事に拠って討ち取られた。

そして蘇我氏(そがうじ)に「一族ことごとく討ち取られた」とされる「聖徳太子とその一族」が、没後百年以上を経て成立した「日本書紀」などの史料に「初出」と言う形で出現する。

つまり聖徳太子の出現は、蘇我氏(そがうじ)を殊更悪しき存在としてその後に起こった乙巳の変(いっしのへん)の変事を正当化するものである。

あらゆる周辺の情況を集積すると、「謎の聖徳太子を出現させ最後に蘇我氏が太子一族を攻め滅ぼす」と言うストーリーの裏側に垣間見えるのは、皇統の神秘的な優秀性を主張する目論見とともに「蘇我氏一族の功績」をも葬り去る意図を持っての「百五十年後の創作ではなかった」とは言い切れない。

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皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2008-04-28 07:31  

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