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賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)

律令制における被差別階級として、賤民(せんみん)がある。

古事記日本書紀神武東遷記(じんむとうせんき)などは、大和朝廷(ヤマト王権)の西日本統一過程を美化している為に何処まで信じられるか判らないが、渡来各部族や原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)が連合過程を経て大和朝廷(ヤマト王権)が成立した事は想像に難くない。

その過程で、原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)の部族長を含む渡来各部族長が、大和朝廷(ヤマト王権)体制に於いて県主(あがたぬし)国造(くにのみやっこ)と言う称号を得て初期の貴族・御門群(みかどぐん)を形成する。

原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)の部族長系の県主(あがたぬし)や国造(くにのみやっこ)と考えられる主な存在に、誓約(うけい)を持って天宇受売命(あめのうずめのみこと)と夫婦に成ったとされる猿田彦神(さるたひこがみ)の宇治県主(うじあがたのぬし)や越後国造(えちごくにのみやっこ)で後に奥州(東北)蝦夷族の俘囚長を務めた阿部臣(安倍氏)などが有力である。

いずれにしても、恭順した渡来部族長や恭順した原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)の部族長は臣王、それに従う部族長の身内までは氏姓(ウジカバネ)を授かって支配階級に列し、それ以外の従った原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)は「良民」、反抗した原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)は「俘囚(ふしゅう)・非人(ひにん)・賤民(せんみん)・奴婢(ぬひ)・穢多(えた)」などと呼んで隷属させた。

つまりアイヌと呼ばれる原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)は、弥生期の初期の段階では日本列島の隅々に居住し、渡来勢力に追い遣られたのであって、けして最初から居住圏が列島の東部分や東北・北海道に限定していた訳ではない。

大和の国成立黎明期頃の日本列島において身分は、征服者である渡来民族(後の氏族)と被征服者の現住民族(縄文人/後の賤民)の大きく二つに分かれていた。

賤民(せんみん)を、姓(かばね)を有しない自由民の下人(げにん)と非人(ひにん)に分け、非人(ひにん)を奴婢(ぬひ)と称して律令制における被差別階級に組み入れ、隷属的に支配していた。

そしてこの支配被支配の歴史は、鬼退治(おにたいじ)伝説が残るように、血塗られた歴史も存在する。

後に反政府勢力鎮圧や治安維持警察活動をするトップの役名とされる「検非違使(けびいし)非人(エミシ族)身分のレジスタンスを取り締まる「非人検(ひにんあらため)に違使(つかわされた)」と言う意味だった。

つまり蝦夷(エミシ)族は、初期の大和朝廷(ヤマト王権)下でまだ組織的なゲリラ局地戦をしていて事に成る。

公に大和朝廷政府が抱える賤民(せんみん)を公奴婢(くぬひ)、地方の豪族が所有し、基本的に家畜と同じ所有物扱いの私奴婢(しぬひ)と呼ばれる身分の者が定められていた。

日本列島・大和の国における非良民(賤民・せんみん、奴婢・ぬひ)の身分制度は、中華帝国や朝鮮王国の制度の影響で、こうした階級制度は、草創期の米国の黒人奴隷制度やインドのカースト制など様々な事例がある。

永きに渡り続いた血統に拠る差別の基本だった氏姓制度において、百姓の下に在ったのは下人(げにん)であり、その下に在ったのが非人(ひにん)である。

百姓までは姓(かばね)を有する言わば支配階級の血筋であり、下人(げにん)、非人(ひにん)は被支配階級の血筋である。

下人(げにん)、非人(ひにん)も農作業はするが、正確に言うと百姓ではなくただの被支配農民である。

百姓が農業従事者の総称に成ったのは江戸期に入ってからで、それまでは支配階級の血筋(姓/かばね)を持つものは商人であれ、工業従事者であれ、「百姓」だったのである。

大和朝廷は成立後、中華文明の身分制度を模倣採用した。

つまり、「中世」に制定された「律令制」に於いて、同じ下層階級の非支配者層の民は「良民(常民)」と「非良民」に分けられていた。

支配階級の氏姓制度と下層階級の「良民(常民)」と「非良民(賤民・せんみん、奴婢・ぬひ)」の組み合わせで、身分別の居住エリアの分類が始まり、それぞれの居住地区が「本所と散所」に分離され、「散所(さんじょ)」に住む「非良民」と言う不当な身分の既存化・固定化が促進された。

此処で言う「中世」とは、おおむね平安時代終わり頃の十一~十二世紀の事である。
平安末期から戦国時代末期の十六世紀まで、この身分制度は多少の変遷を伴いながら、実質的に続いた。

この時代、戦乱や飢饉が繰り返される中で、所有地または耕作地を失い、生活ができない人々を排出した。

その中には、荘園の免税地(散所)などに住み、公家や寺社に使われて労役奉仕をする事で生き長らえる道を選択した為に、その居住区が発生して、「非良民・賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)」の身分が定着した。

その分離した居住区を総称する名称が、そのまま被差別民を指す名称と成ったのが「散所」である。

「非良民」とは支配者に税(年貢・ねんぐ)を払わない者を指したが、卑しい身分とされて「賤民(せんみん)」とも呼ばれた。

その被差別階級は生き方が制限されていて、実は欧米で言う所の、国または個人が所有する「奴隷」の身分である。

この、被差別階級として賤民(せんみん)があり、奴婢(ぬひ)として、行政組織や地方の豪族が所有し、基本的に家畜と同じ所有物扱いで、行政組織の所有は公奴婢(くぬひ)、個人所有の私奴婢(しぬひ)と呼ばれる身分の者で、「奴(ぬ)」が男性奴隷、「婢(ひ)」が女性奴隷で、その身分も親子代々受け継がれたものだった。

散所と呼ばれた人々の中から「芸能」に従事した者が出現した事から、「河原者」は全て「非良民(賤民・せんみん)の身分出自の者」と解釈される場合が多いが、実は間違いである。

元々、古代から近世にかけて、神事から始まった芸能を長い事管理していたのは支配階層の氏族である。

これは現代にも通じる事だが、衆を操るに必要な才は何にも益して劇的な演技力である。

つまり演技力のない政治家は衆を味方には出来ない。

その辺りを承知しているからこそ氏族(支配階層)は、演技力を要するこの国の神主や仏教座主を独占し、また武芸百般の内で芸能の技量も求められた。

詳しくはこの物語を読み進めて頂くと判るが、その役割を歴史の場面場面で意味を持って登場する影人が、芸能を諜報活動の武器にしている。

しかし時代が下って徳川幕府成立以後の江戸期、政治権力の変化、制度の変化により、「河原者」に身分を落とした「芸能従事」の氏族出自の者も、存在したのである。

非人の内、穢多(えた)に関しては人別改帳(にんべつあらためちょう)に記載がないものを言い、別に非人々別帳に記載される卑しい身分の者の事である。

穢多(えた)は読んで字のごとく「穢(けが)れ多き」と言う意味だが、仏教の教えに絡んで家畜の屠殺(とさつ)やその皮革の取り扱い、或いは死人の始末や磔獄門などの刑死の下働きを生業とした特殊な身分の者のとされた。

尚、江戸期の刑法で男性なら非人手下(ひにんてか)、女性なら奴刑(しゃつけい)に拠る非人・穢多(えた)身分とする刑が存在した。


そしてこの江戸期の差別制度は、明治維新後の部落民差別として残って行く。

狩猟の民である先住民(蝦夷族/エミシ族)山窩(サンカ・サンガ)は、仏教の教えである「殺生の禁止」を生業としていた。

しかし大和朝廷では、仏教を国家統一の為に採用して啓蒙していたので、「殺生の禁止」を生業としていた山窩(サンカ・サンガ)は、永く非主流の狩猟遊民として定住もままならない存在だった。

この歴史現象を公平に判断すると、この仏教の教えである「殺生」を禁じた教えを渡来民族政府だった大和朝廷が採った事は、日本列島運営の政治的な計算も在った筈である。

正直大和朝廷政府は、原住民族である先住民(蝦夷族/エミシ族)の抵抗には平安末期まで苦労していた。

それでも時を費やしながら、先住民(蝦夷族/エミシ族)の末裔である賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)を含む平民にも、仏教の教えは徐々に定着して行った。

現にこの「仏教化政策」は成功し、四足動物の建前上での食肉禁止は明治維新までほぼ国民の多数合意されていた。

その食肉禁止の文化も、明治維新の文明開化で薄れて行った。

基を正すと歴史経過の中で取り残されたに過ぎない一部の部族文化を、「自分達と価値観が違うから」と差別するは、最初から間違っていたのだ。

但し一部の賤民(せんみん)部落に残った四足動物処理技術文化への差別は、一部の心無い人々の意識の中に現在でも残っているのは残念である。


穢多頭(えたかしら)・弾左衛門(だんざえもん)】に続く。
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詳しくは【鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)】に飛ぶ。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

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by mmcjiyodan | 2008-04-28 08:55  

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