信仰(宗教)や占い

信仰(宗教)は個々の精神世界のもので、憲法に保障されている信教の自由であるから他人がどうこう言うものではないし、他人に無理に押し付けるものでもない。

そもそも信仰(宗教)や占いは、「恐れ」や「現世利益への欲望」から成り立っている。

「恐れ」であるが、一例を挙げると自分に自信が無い人間ほど虐(いじ)められっ子で、虐(いじ)められても反発は出来ないし直面にする問題の解決が出来ない。

本来こうした事象は本人がアグレシブ(攻撃的)に立ち向かうべきだが、そう言う弱い人間は問題の解決を逃げに走り、自傷行為や自殺に走ったり信仰(宗教)や占いに頼りたがる。

つまりあれこれ理屈を付けても答えは一つで、自分に自信があれば強く生きて行ける訳で、問題の解決を他に頼る事は深層心理において自身の能力に「自信が無い」と自覚すべきである。

信仰(宗教)や占いについては、利用する側と利用される側の二種類しかない。

自身の能力に「自信が無い」部分を信仰(宗教)や占いに頼っても奇跡は起こらないし、益してや「現世利益」を願ってその奇跡を「金で買おう」と言う邪(よこしま)な考えで、本人が努力もせずに信仰(宗教)や占いに金を積んでも「横着」と言うものである。

そう言う方は、利用する側の餌食に成るだけである。

自分に自信が有る者は信仰(宗教)や占いを信じないで利用しに掛かるが、自分に自信が無い者は信仰(宗教)に救いを求める。

そして困った事に、信仰(宗教)に救いを求める「自分に自信が無い者」こそ、「その事実を指摘される」と、「自分を否定された」と烈火のごとく怒り出す。

しかし良く考えた方が良い。そう言う方は全てを「自分以外の他者のせい」にして逃げているのである。

訪れる不幸が「自分のせい」では無く「天からの授かり物」と考えるならば、全ての不幸が「神仏のせい、先祖のせい」にする事から始まってしまい、その信仰(宗教)や占いの矛盾に気が着くべきである。


日本人は、信仰を「平和の為」と根本的に誤解して、信仰の危うさを考えないでいる。

キリスト教では裏切り者のユダを赦さず、「最後の晩餐」の絵画で復讐のナイフを突き付けている。

勿論キリスト教は異教徒とは妥協せず、十字軍を送って相手を屈服させるのがキリスト信仰である。

イスラム教では、「目には目を歯には歯を」の対等な復讐が教えで、現在でも実践されている。

つまりイスラム教は、復讐の為なら命も捧げる自爆テロが、信者として「立派」と認められる信仰である。

日本の神社の神主は永い事武装した氏族の兼業で、平和祈願はあくまでも氏子だけのものだった。

仏教に到っては、日本では僧兵を組織して異教徒や時の権力者に対抗し、権力者が得度して僧形のまま戦をする大名も多かった。

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信仰(宗教)や占いの詳しい検証は【本編】をお読み下さい。
第五巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
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by mmcjiyodan | 2008-04-28 18:01 | Comments(0)  

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