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承平天慶(じょうへい・てんぎょう)の乱

源頼朝挙兵から遡る事、約二百二十年前の平安中期、関東一帯で、「平将門の乱」が起こっている。

この平将門の乱は、ほぼ同時期に藤原純友が瀬戸内地方一帯で起こした乱を併せ総称して俗に「承平天慶(じょうへい・てんぎょう)の乱(九百三十五~九年)」と呼ばれている。

背景にあったのは、氏族社会における中央と地方の政治抗争である。

受領(ずりょう)と言う呼称の起源であるが、行政官の長(受領/ずりょう・国司)の国司交替の際に、後任の国司が適正な事務引継を受けた事を証明する「解由状(げゆじょう)」と言う文書(受け取り証明)を前任の国司へ発給する定めとなっており、実際に解由状をもって現地の権限を受領する国司を「受領(ずりょう)」と呼ぶようになった。

簡単に言うと、中央から赴任して来た行政官の長(受領/ずりょう・国司)は守(かみ)、及び権守(ごんのかみ)であるが、上野国、常陸国、上総国などの親王が任国する地方は次官の介(すけ)、権介(ごんのすけ)がその任にあたった。

これらの行政官、守(かみ)、及び権守(ごんのかみ)及び介(すけ)、権介(ごんのすけ)は官位が四位~五位どまりの下級貴族であったが、この制度は任命された国司に対して租税収取や軍事などの権限を大幅に委譲すると言うもので、中央へ確実に租税を上納する代わりに、自由かつ強力に国内を支配する権利を得た為にその権限は強く、その権限を背景に蓄財を行いそのまま任国に土着して解任後もその勢力をたもったまま地方豪族に収まるものが出て来た。

国司交替によって地方に土着した元国司の豪族と新任の国司の間でその権限委譲が円滑に行く為の物が「解由状」であるが、当然ながら前任者の既得権益を後任者が簡単には譲り受けられず抗争に発展する事も多かった。

また、円滑に権限委譲が行なわれてもその後の租税収取などの立場が、勢力と財力を蓄え土着した元国司豪族と入れ替わる為、紛争を起こす火種になっていた。

この解由状(げゆじょう)による受領(ずりょう)を観察する役目の行政監査官が「陰陽助(陰陽寮次官)」勘解由小路(かでのこうじ・賀茂)家の「勘解由使(かげゆし)」である。

平将門も藤原純友も受領と土着した元国司豪族や地方富豪層の間の緊張関係の調停に独自の武装勢力を形成して積極介入し、結果中央(朝廷)との敵対に追い込まれ追討を受けて滅ぼされた。

平将門(たいらのまさかど)の乱・詳細】に続く。
藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱】に続く。

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by mmcjiyodan | 2008-04-28 23:17  

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