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徐福(じょふく/すぃーふぅ)と秦(はた)氏

縄文後期弥生時代(紀元前五世紀中頃から三世紀中頃まで)に掛けて「伊韓(唐)島の周辺と五島列島、壱岐・対馬を含んだ地域で発達した」と言われる太平洋・インド洋を繋げた大航海の伝承と航海技術の伝承が有り、秦の始皇帝時代(紀元前二百二十年頃)に中国沿岸部に、「海人族」として倭人(ワィ)と呼ばれる部族が存在した。

徐福伝説において始皇帝は、不老不死を求めて方士の徐福に「東にある」と言う蓬莱の国(日本列島の事と推測されている)へ行き、「仙人を連れて来るように命じた」とされている。

この徐福の航海を可能にしたのが、中国沿岸部に居住していた倭人(ワィ)と呼ばれる部族(海人族)が持つ大航海技術だったのである。

この徐福伝説の徐福(じょふく/すぃーふぅ)が日本列島へ住み着いた征服部族、「秦氏(はたし/はたうじ)」の先祖と言われて居る。

徐福は、始皇帝の命で一度日本列島を訪れてその豊かな未開の地に魅了され、新天地で王に成る野望をいだいた。

密かに永住を決意して帰国、始皇帝の不老不死願望に期待を抱かせる事に成功すると大船団を編成、大勢の技術者や若い男女ら三千人を伴って渡航、まんまと新天地に移住した。

現代では、中国・江蘇省において「徐福が住んでいた」と伝わる徐阜村(すぃーふぅつん/徐福村)が存在している。

徐福(じょふく/すぃーふぅ)の大船団に乗って列島に辿り付いた大勢の技術者は、造船技術者、製鉄技術者、製紙職人、機織り(はたおり)職人、農耕技術者、漁業の専門家、木工技術者などで、正に当時とすれば最先端の「黄河文明」を未開の地に持ち込んだ事になる。

徐福(じょふく)の子孫・秦氏の秦(はた)は、機織り物(はたおりもの)に通じ、秦氏は「織物を司どっていた」とも伝承されている。

その機織り(はたおり)の古い織機(しょっき/おりき)様式が、伊豆七島の一つ八丈島に残っていた原始的な織り方「カッペタ織りだ」と言うのである。

倭人(ワィ)と呼ばれる部族(海人族)は、その大航海技術を駆使して黒潮の海流に乗り、朝鮮半島や日本列島に進出、各地に移住して行く。

伊豆七島の一つ三宅(宮家)島の北部には、伊豆地区と神着地区がある。

この三宅島・伊豆地区の名称と伊豆半島(伊豆国)の名称がどう関わっているのかは謎であるが、三宅島・伊豆地区の方が伊豆半島(伊豆国)よりも「早い時期に命名された」と言う事は充分に考えられる。

神着地区は読んで字の事しで「神着(かみつき/カヌチャ)」、つまり事代主(ことしろぬし)の神が御着きに成った場所と言う事である。

この黒潮ハイウェーとも称される日本の太平洋岸を北上する流れの終着点近く、三宅(宮家)島の伊豆地区に三島明神(神社)が、神着(かみつき/カヌチャ)地区に走湯神社が配されて居り、三宅島の三島明神(神社)が伊豆半島・三島大社であり、伊豆国の国府・三島(現・三島市)の名称、そして熱海市にも走湯神社があり、いずれも三宅島にそのルーツを見るのではないだろうか?

この伊豆半島と伊豆諸島には、古代に到達したより独特な海人族文化(倭人文化)や先進な船舶航法が有った。

それらが伊豆半島に伊都国を成立させたのでは無いだろうか?

渡来人(とらいじん)】に続く。
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参考・関連小論【山幸彦・海幸彦(やまさちひこ・うみさちひこ)伝説】はお薦めです。

参考・関連小論【葛城ミステリーと伊豆の国=伊都国(いとこく)説】はお薦めです。

第四巻に飛ぶ。】
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by mmcjiyodan | 2008-04-29 08:26 | Comments(0)  

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