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弘法大師(こうぼうだいし/空海)

弘法大師・空海は俗名を佐伯真魚(さえきのまお)と言い、讃岐国(現在の香川県)の豪族・佐伯直田公(さえきあたいのたぎみ)と物部氏の分流と伝えられる阿刀(あと)氏の娘・玉依御前(たまよりごぜん)の間に誕生した子である。

尚、弘法大師(空海)の父・佐伯直田公(さえきあたいのたぎみ)は別称が善通(よしみち)で、佐伯は小領として治めた地名、直(あたい)が姓、田公(たきみ)が名、善通(よしみち)は別称で、直善通(あたいのよしみち)とも申した。

この直善通(あたいのよしみち/佐伯直田公)の名・善通を採って四国真言宗善通寺派総本山・善通寺(香川県善通寺市/令制国・讃岐国)は真言宗開祖・弘法大師(空海)の父である佐伯善通を開基としている。

七百九十二年(延暦十一年)、佐伯真魚(さえきのまお/空海)は十八歳で京の大学寮に入り、翌七百九十三年(延暦十二年)頃から山林での修行に入った。

約十年間山林修行を重ねた八百四年(延暦二十三年年)、空海は突然遣唐使(けんとうし)の遣唐留学僧として浮上、正規の遣唐使の留学僧(留学期間20年の予定)の資格を得て唐に渡る。

弘法大師・空海は多くの知識と経典を得、唐での二十年の留学予定期間を僅か二年で切り上げ、八百六年(大同元年)十月に多数の経典を携えて無事帰国した。

八世紀に入り、ちょうど桓武天皇の第一皇子が平城天皇として即位(八百六年)した頃、唐から帰国した空海(弘法大師)は、帰国して十年後に高野山(和歌山県)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。

弘法大師(空海)が唐から伝えた経典の一部に、密教がある。

仏教の発祥はご存知インドであるが、実を言うとインドには「密教」と呼ぶ言葉や宗派はない。

金剛乗(ヴァジュラヤーナ)、或るいは大乗(マハーヤーナ)等が相当しそうだが、厳密には意味がかなり異なっていて「伝播の途中で変化したものと」考えられる。

大陸での修行を終えた弘法大師(空海)は、持ち帰った経典に重さを付ける為に「密教呪法」の存在を強調し、その呪法効果を期待させる事に成功する。

当時の日本の指導階層は血統を重んじる氏族で、世継ぎを得る為には多くの妾を抱える社会だったから凡そ禁欲的な教えでは受け入れられない。

弘法大師(空海)の教えは、その教義の中で「人の世界の理性的な原因の世界」を肯定し、然る後に「密教呪法」に拠り身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる)、口に真言(真実の言葉)陀羅尼を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事により、仏の不思議な力で「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)出切る」とされて居る。

その教えを秘密仏教、即ち「密教」と称し、教理と行に呪術的かつ具象的表現を伴う教義を成立させ、「潅頂(かんじょう)」と言う入門の密教儀式をしていない者に師の許しなく真言や行の内容を軽々しく教えを説き伝える事を禁止してこれに反する行為は大罪としてその自戒を三昧耶(さんまや)と呼んでいる。

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by mmcjiyodan | 2008-04-29 11:26  

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