後醍醐天皇(ごだいごてんのう)

その頃、鎌倉幕府の推挙により第九十六代天皇に、後醍醐天皇が即位した。

三十一歳と若くてやり手の天皇で、野心もあった。

醍醐とは仏教用語で非情に手間の掛かる貴重な牛・羊乳化工品の食べ物で濃厚な肉汁の甘みを有する食べ物の事である。

醍醐味はこの貴重な牛羊乳化品の味を指し、それが転じて醍醐味は「貴重な」とか「真髄」と言う意味に転用されて、帝の名前に用いられるようになった。

幕府にすれば、後醍醐帝は若いから「言う事を聞かせる事が容易に出来る相手」と踏んでいた。

だが、とんだ読み違いで、後醍醐天皇こそは鎌倉幕府を滅ぼし、一旦は天皇の親政に拠る「建武中興」を成立させ、その志淡く足利尊氏に吉野に追いやられて「南北朝並立時代」と言う権力の異常事態を引き起こした一方の張本人である。

後醍醐天皇(第九十六代)は、正に歴史の変わり目に必ず現われる、破壊神・須佐王(スサノウ)の化身だった。

これを機に、日本は新たな動乱の時代に流れて行く。

当時天皇は、大覚寺統持明院統が交互に即位する約束に成っていた。

しかしそれは、勿論皇統の継承争いに、憂慮した側面もあるが、基を正せば天皇家が一本にまとまり、団結して「力を集中しない様に」と言う目論みの「皇室分断作戦」で出て来た鎌倉幕府主導の制度だった。

鎌倉幕府による朝廷への介入が進み後嵯峨天皇(第八十八代)の皇子二人が、後深草天皇(第八十九代)持明院統と亀山天皇(第九十代)大覚寺統の兄弟で皇位に就いた所から、鎌倉幕府に利用されその子孫が代わり番で皇位を継ぐ慣習が生まれた。

後醍醐天皇は大覚寺統の後宇多天皇(第九十一代)の第二皇子であるが、持明院統の花園天皇 (第九十五代)の皇太子に立ち、千三百十八年に花園天皇からの譲位によって第九十六代天皇に即位する。

後醍醐天皇が鎌倉倒幕を目指したのは、鎌倉幕府主導の「皇室分断作戦」制度に正面から挑んで、一本化を図る事だった。

しかし順番で、「次に天皇が出せる」と期待していた持明院統は黙って座しては居ない、幕府側に回った。

そう成ると、後深草天皇の血統(持明院統)と亀山天皇の血統(大覚寺統)の対立がここから始まる。

幕府は後醍醐天皇を圧さえる為に持明院側を利用しに掛かり、朝廷はゴタゴタが絶えなくなる。

持明院統・後伏見上皇が幕府の後援を受けて一方的に皇子量仁(かずひと)親王の立太子を企てた為、業をにやした後醍醐天皇は、このままでは、天皇は今まで通り鎌倉幕府の「飾り物」に成ってしまうと、即位六年目の千三百二十四年に鎌倉幕府からの政権奪取を秘密裏に画策する。

この後醍醐天皇の動きが、鎌倉幕府の倒幕、「建武の親政」そして「南北朝並立時代」の百年に余る戦乱の序章だった。

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建武の新政(親政/けんむのしんせい)と南北朝並立】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2008-04-29 11:39 | Comments(0)  

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