人気ブログランキング | 話題のタグを見る

好太王(広開土王)顕彰碑

倭の国は、朝鮮半島と日本列島を含んだ広域の倭人の住む地域の事である。

この「広域倭の国論」、半島側と列島側双方の頭の固い学者が、あくまでも「倭の国列島説」を主張している。

この「倭の国列島説」から、高句麗第十九・代好太王(こうたいおう・広開土王・クァンゲトワン/在位三百九十一年~四百十二年)の「好太王顕彰碑」における墨水廓填本(ぼくすいかくてんぼん/拓本)の内容について、史実を反映していない為に、旧日本軍による碑文すり替え説や事実を隠蔽する為の「石灰塗布作戦」と言った論争が繰り広げられている。

好太王顕彰碑に拠ると、当時高句麗軍の南面方面の最大の敵は、倭と呼ばれていた当時の列島側(大和朝廷)からの「派遣軍」と言う事に成っている。

つまり、当時の倭(列島側/大和朝廷)は強い勢力を持ち、百済(くだら・ペクチェ)と新羅(しらぎ・シルラ)を武力制圧して配下に押さえ、その派遣軍は新羅の王都・慶州を占拠したり、帯方軍の故地まで侵入して高句麗(こうくり・コグリョ)軍と戦った事に成っているのである。

所が、この時期に、列島側(大和朝廷)が「朝鮮半島に軍を派遣した」と言う事実はなく、碑文の解釈、さらには碑の文字に「何んらかの問題がある」とする説が提起されている。

碑文の解釈が「倭の国列島説」に符合しないから強引に「陰謀説」で辻褄合わせをするのだが、「広域倭の国論」であれば、充分に符合するのである。

何故なら、「広域倭の国論」であれば百済(くだら・ペクチェ)も新羅(しらぎ・シルラ)も「半島側の倭の国」だったからである。


◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

◆このコンテンツ(記事)を「引用」・「転載」する時は、必ず原作者名・未来狂冗談を明記した上で出典元の当方アドレスをリンクで貼って下さい。


関連記事
広域倭の国論】に飛ぶ。
後漢書・倭伝(東夷伝)】へ飛ぶ。
志賀島(しかのしま)出土の金印・漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)】へ飛ぶ。
魏書(魏志倭人伝)原文詳細】へ飛ぶ。
歴代朝鮮王朝略史】に飛ぶ。

第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

by mmcjiyodan | 2008-04-29 12:44  

<< 事代主(ことしろぬし)の神 御神託事件(宇佐神宮) >>