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金売吉次(かなうりよしつぐ)

源義経(遮那王)は五年後に鞍馬山を降り、監視の目を逃れて京を脱出、東北の大豪族・奥州藤原氏の頭領・藤原秀衛(ふじわらひでひら)を頼る。

義経十六歳の時であった。ちょうど平清盛が太政大臣に成って、平氏全盛の時代であるが、奥羽六ヵ国の雄・奥州藤原家は別格で、平氏としても影響が及び難かった。

藤原秀衡の庇護を得た事について、伝承によれば「金売吉次と言う金商人の手配によった」と言うが、この人物の実在性は今日疑われていて、実際には「名も無い影の働きに拠る、または、金売吉次と名乗った影がいた」と見るべきで、少年義経(遮那王)は、何者かの将来の備えの思惑で、軍事顧問まで付けて育成されていたのかも知れないが、裏陰陽組織・勘解由小路の仕事に、確たる証拠は残らない。

それにしてもこの時代、金と言う鉱産物を扱うのは「修験系の山師」と考えるのが、まともではないだろうか。
藤原秀衛(ふじわらひでひら)は、一目で義経の才を見抜き、喜んで奥州に向かえ入れた。

源家は、八幡太郎源義家以来奥州藤原家とは縁が深い。

秀衛が義経に見たのは、瞬時に状況を判断し即応する常人に無い才であった。
そして表には出せないが、内々でやんごとない高位の人物の「蜜命書」が添えられている。

それでなくとも、中央の「土御門(安倍)」と奥州の「藤原(清原)」とは蝦夷族長の主導権で対立している。
つまり利害関係の延長線上に少年義経(遮那王)の奥州行きは有ったのである。

藤原家で六年、義経は秀衛に息子の様に可愛がられたが、兄・源頼朝の挙兵を聞き、時節到来と伊豆に駆けつける。

藤原秀衛が軍事顧問的に、配下の佐藤兄弟を義経の手勢として付けてよこした所を見ると、義経の挙兵は、「秀衛、予定の範疇だった」のかも知しれない。

奥州藤原氏三代ゆかりの中尊寺は天台宗東北大本山である。
源頼朝は藤原泰衡を脅して腹違いの弟・義経を討たせ、その後大軍を送って奥州藤原氏を滅ぼした。

奥州藤原氏の栄華を極めた平泉の金ぴか中尊寺(金色堂)の噂を聞いて、奥州には、「さぞかし立派な金鉱が在る」と思っていた頼朝は空振りを喰ってガッカリした。

奥州に藤原氏の隠し金山は無く、奥州藤原氏は金を買っていたのだ。

中尊寺は天台宗、つまり台密修験の奥州(東北)の本拠地でもある。

そもそも金鉱であろうが、銀・銅・鉄であろうが、元々鉱山の探索や開発従事は修験道の守備範囲で、源義経を奥州藤原家に逃れさせた「金売り吉次」が、陰陽修験と関わりがあっても不思議ではない。

推測するに、「金売り吉次」こと勘解由小路・吉次の売っていた金の出所は、伊豆の「帝の隠し金山」に違いない。

つまり、帝の軍資金調達に「帝の隠し金山」の産金を預かって奥州藤原氏に売っていたのが勘解由小路・吉次だったのである。

金売吉次(かなうりよしつぐ)については、京の都三条通りにお店(たな)を出していた所から、「三条吉次と呼ばれていた」とする言い伝えもある。

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by mmcjiyodan | 2008-04-29 19:24 | Comments(0)  

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