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勘解由小路家(かでのこうじけ)

賀茂氏の血を継ぐ陰陽寮の陰陽助、勘解由小路家(かでのこうじけ)の由来は、勘解由使(かげゆし)と言う官職である。

坂上田村麻呂を使い、本当の意味で日本列島の大半を征服した大王(おおきみ)、桓武天皇(第五十代)は、新王統の創始を強く意識し、積極的な政治・行政改革を展開した。

中でも帝の支配威を国内に周(あまねく)拡げる為に、弛緩しつつあった地方行政の再構築に取り組んだ為、その遂行手段として誕生したのが勘解由使(かげゆし)である。

勘解由使(かげゆし)は、国司の不正を監視・摘発する為に設けられた特別な役職である。

律令に基づく八つの省からなる中央官庁のうち 天皇と直結する行政の中枢である「中務省」に、陰陽寮は設置された。

この陰陽寮が属している中務省は 天皇とその政に関する仕事を受け持つ所で、言わば天皇直属の機関で、実は天皇直属の秘密工作機関裏・陰陽寮(うらおんみょうりょう)の存在もあった。

陰陽寮の陰陽助(賀茂家)が貴族に列した事から、勘解由(かでの)の名は官職名から公家の呼称となり、勘解由小路家(かでのこうじけ)と言う名跡になった。

賀茂氏室町時代には勘解由小路家(かでのこうじけ)を称したが、「戦国時代に断絶した」とされる。

しかし支流は草となって全国に散り、その有力な一つが明智光秀の愛妻明智煕子(あけちひろこ)の生家・美濃国妻木郷・妻木勘解由家(つまきかでのけ)徳川家康の出自とされる三河国加茂郡松平郷・松平家(まつだいらけ)である。

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皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2008-04-29 19:28  

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