大海人皇子(おおあまのみこ)

大化の改新から二十六年、天智天皇が崩御し、天智天皇の皇子・大友皇子が弘文(こうぶん)大王(おおきみ・天皇第三十九代)として即位(?・正式の即位では無い)する。

しかし一年後、天智天皇・弟の大海人皇子(おおあまのみこ)の反乱「壬申(じんしん)の乱」が起きて合戦となり、大海人皇子の勝利、弘文天皇(後世追認天皇)の自害で、乱は幕を閉じる。


大海人皇子(おおあまのみこ)は、甥の弘文天皇(追認皇位)を殺して、帝位に付き、天武(てんむ)天皇(第四十代)を名乗った事に成るが、この交代劇、様々な異説がある。

最たるものは、ここで「皇統が一旦途絶えた」とする説である。

その説によると、皇統外の天武天皇(大海人皇子・おおあまのみこ)が「革命」に成功し、皇統の系図を書き換えて、天智天皇の弟に納まり、第四十代天皇を継いだと言う「疑惑」である。

この異説の根拠を挙げておく。

まず、天智天皇、天武天皇、弘文天皇の兄弟、叔父甥の年齢の絡みが、一致しない。
計算によって天武天皇は、天智天皇の四歳年上の「弟」に成るそうだ。

大海人皇子が、もろもろの文献に突然登場する事にも、疑問を投げかけられている。
幼い頃の事が、どこにも書いて無いのだ。

皇子としての皇統の名に、「大海人(おおあま)」の使用例が無いのである。

また、兄弟にもかかわらず、天智天皇の娘を、四人までも天武天皇が妃として皇子時代にもらっている。

これは近親婚の多い朝廷にあって、一人くらいは考えられるが、大概はどちらか一方が違う親の、異父または異母兄弟である。

同じ父、同じ母を持つ「兄の娘四人」は当時としても異常で、まるで血縁の薄い有力豪族を抑える為の「政略婚」の様である。

大海人皇子(おおあまのみこ)の疑惑】へ続く

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皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2008-04-29 21:15 | Comments(0)  

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