陰陽寮(おんみょうりょう)

役(賀茂)小角(えんのかもおずぬ)が初期の陰陽組織を成立させてから百三十年余り後、陰陽修験道は新たな時代を迎える。

八世紀(平安初期)の始め、ちょうど弘法大師(空海)伝教大師(最澄)が仏教修行に行っていた唐(中国)から帰って来た頃、時を同じくして桓武天皇(第五十代)により「陰陽寮(おんみょうりょう)」が設置される。

この事は、偶然だろうか?

いや、明らかに大和朝廷はこれを「統治に利用しよう」と考えたのである。

律令に基づく八つの省からなる中央官庁のうち 天皇と直結する行政の中枢である「中務省」に、陰陽寮は設置された。

この陰陽寮が属している中務省は 天皇とその政に関する仕事を受け持つ所で、言わば天皇直属の機関である。

当然ながら、それに付する「陰陽寮」も例外ではない。

つまり、密教と陰陽修験(日本古来の山岳信仰・神道)が結びついたのは、「自然の流れ」と言うよりも、「統治者の意図に由来するもの」と考えられるのである。

「陰陽寮」は配下に陰陽道、天文道、暦道を置き、それぞれに吉凶の判断、天文の観察、暦の作成の管理を行わせた。

また、令では僧侶が天文や災異瑞祥を説く事を禁じ、陰陽師の国家管理への独占が謀られた。

つまり僧侶・神主(宮司)が各自の解釈で説く事の混乱を避け、恐れに対する対策の呪術を陰陽師に一本化したのだ。

当然、当時の国家プロジエクト的建造物の設計や財政出費などの「有無を言わせない裏付け」として、吉凶の御託宣は利用された。

確かに、神の仰せなら逆らえないからである。

陰陽師起源の詳しくは、小論【陰陽師=国家諜報機関説】を参照下さい。

関連小論【賀茂忠行(勘解由小路家)と安部晴明(土御門家)の謎】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2008-04-29 21:32 | Comments(0)  

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