陰陽師(おんみょうじ)=修験道師(しゅげんどうし)

陰陽師(おんみょうじ)の発祥は陰陽修験道である。

修験道師の祖「役小角(えんのおづぬ・賀茂小角)」が創設した陰陽修験は、賀茂葛城家に伝わる「呪詛信仰(事代主神/ことしろぬしのかみ)」の呪術、占術、元々列島に存在した八百万(やおよろず)の「原始自然信仰」と、渡来して来た中世の「妙見信仰・北辰信仰」や「道教」を習い合わせて誕生し、その後の仏教などの渡来宗教にも影響を受けて行くのだが、どう考えても自然発生的に陰陽修験が成立したとは思えないのである。

それに修験者(山伏)の、あのお馴染の「行者服(ぎょうじゃふく)」の出(い)で立ち、中々凝っていて、高価そうである。

山中でも一目で識別が可能なしろものであるが、活動費や行者服の資金は、いったい何処から出ていたのか?

あれは常識的に考えて「軍事組織か警察組織の制服にしか見えない」が、如何か?

裏に、「表沙汰にし難い理由」があり、宗教(信仰)でカモフラージュして民間の体裁を整えた「公的な秘密組織ではないか」と、我輩は疑ってみた。

陰陽修験道が成立したのは、天武天皇(大海人皇子/第四十代)の御世である。

大海人皇子(おおあまのみこ・天武天皇)には「革命」に成功し、皇統の系図を書き換えて天智天皇の弟に納まり「第四十代天皇を継いだ」と言う「大疑惑」がある。

小角(おづぬ)が、大海人皇子(おおあまのみこ・天武天皇)が即位したと時を同じくして陰陽修験道を始め、その修験道を組織化して行く所から、この陰陽修験組織成立には天武天皇の意向が存在したのではないだろうか?

実は日本列島の西半分に大和朝廷が成立後も、蝦夷族(エミシ族/縄文人)の組織的な抵抗(レジスタンス)記録は、平安中期まで坂東(関東)奥州(東北地方)で続いていた。

そうした抵抗(レジスタンス)の対応に、下級貴族の平氏流・平高望(たいらのたかもち)、藤原北家魚名流・藤原利仁(ふじわらのとしひと)、藤原北家魚名流・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)らの一党が夫々(それぞれ)鎮守将軍として派遣されていた。

同時に機内王城の地域や都に於いても源頼光(みなもとのよりみつ/らいこう)と酒呑童子の物語源頼政(みなもとよりまさ)鵺退治(ぬえたいじ)のような小規模な抵抗(レジスタンス)は存在した。

つまり修験道師の主たる役割は、隷属的立場である俘囚に置いた蝦夷族(エミシ族/縄文人)の反抗分子を駆逐し、彼等に天孫降臨伝説(服従心)の啓蒙と民族的同化を促進する役割を負っていて、それ故に、天の岩戸伝説天狗伝説・犬神伝説(しゅけんしっぺい太郎鎮平犬)などが全国に広がった。

国家を形成する重要要件の一つが帰属意識(きぞくいしき)である。

人間には帰属意識(きぞくいしき)があり、その帰属意識(きぞくいしき)は人種(民族意識)だったり国(国民意識)だったり、同一宗教や勤務先企業だったりするのだが、その根底に在るのは「人間が群れ社会の生き物である」と言う極原始的な本能にある。

また、その帰属意識(きぞくいしき)の形成過程に影響を与えるのが、この「群れ社会の生き物」と言う原始的な帰属本能と「集団同調性(多数派同調)バイアス」と言う心理効果の利用である。

この集団同調性(多数派同調)バイアスに関してだが、多くの場合は宗教指導者や為政者、またはその両者が協力して「信仰心や民話の刷り込み」が応用され帰属意識(きぞくいしき)を醸成して行く事になる。

天武帝桓武帝が進めた古事記日本書紀の編纂とそれを広める陰陽修験道師の活動は、正に帝の下に国家を統一させる為の国策だった訳である。

そして異説だが、縄文期に古代イスラエルの失われた十支族の一部が列島に移り住んで原住民と民族的に和合し、縄文人を形成した痕跡が存在する。

その縄文人が「ヘブライ文化の一部を定着させた」と言う、未だ解明されない「古代ヘブライ(ユダヤ)伝説」がある。

実はこのヘブライ文化が、六百九十九(文武天皇三年)に役小角(えんのおずぬ)が成立させたの陰陽道に、日本列島の原信仰として取り入れられた形跡がある。

陰陽信仰(誓約呪詛)は、神代伝承史に於ける天宇受売(アメノウズメ)と猿田毘古神(サルタヒコ)の異民族誓約伝承をその基に据えた平和と豊穣の呪詛(祈り)から始まって、天上界の最高神・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の意向(事)を代わりに「御託宣(決定)」を成す地上の最高神・事代主(ことしろぬし)の神や一言主(ひとことぬし)の神の「御神託(助言)」を習合している。

そして天武天皇(てんむてんのう)のご意志で役小角(えんのおずぬ)が開いたこの陰陽信仰(誓約呪詛)には、後に修行から帰国した弘法大師・空海が日本に持ち帰った初期密教の影響を色濃く反映していた。

元々弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典を現代の先入観に当て嵌めて真言密教を理解しようとする所に無理がある。

弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典には、ヒンドゥー教の経典も多数含まれていた事から、真言密教が生まれた。

この修験道の「密教・山岳信仰」のルーツこそ、中華帝国を経由し仏教と習合して伝わった遥かヒマラヤ山脈の「夜這いの国々のヒンズー教起源」である事は間違いない。

元々弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典を現代の先入観に当て嵌めて真言密教を理解しようとする所に無理がある。

弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典には、ヒンドゥー教の経典も多数含まれていた事から、真言密教が生まれた。

だからこそヒマラヤ原産の桜木も日本に伝わり、吉野に代表する山岳信仰と桜木は日本でも一体のものと成った。


ヒンドゥー教は、シヴァ神の御神体・リンガ(男根神)を仰(あお)ぐ信仰で、人々は性交しているシヴァを女性器の内側から見ている形になっている。

性典・カーマスートラを生み出した性に対しておおらかな信仰の教義が、弘法大師(こうぼうだいし/空海)の手で伝わったのである。

この性に対しておおらかな信仰の教義が、陰陽修験道師の手によって全国に喧伝され神道と集合して人身御供の儀式男根神を祀る神社が出た。

弘法大師・空海が日本に持ち帰った経典の中にインド・ヒンドゥー教の影響を受けた経典が多数含まれていて、日本の初期密教の成立にヒンドゥー教の命を根源とした性的な教義が混ざっていて当たり前だったのである。

陰陽師起源の詳しくは、小論【陰陽師=国家諜報機関説】を参照下さい。

関連小論【賀茂忠行(勘解由小路家)と安部晴明(土御門家)の謎】を参照下さい。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

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by mmcjiyodan | 2008-04-29 21:36 | Comments(0)  

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