犬の方(お犬のかた)
そのもう一人の目立たない妹は「お犬の方(おいぬのかた)」と言うのだが、お市の方の姉または妹と言う両説がありどちらかは確定していない。
このお犬の方(おいぬのかた)が、血筋が織りなす彩(あや)の中で微妙な光を放って、戦国期の歴史に存在を残している。
お犬の方は、兄・信長の命で尾張国大野城主・佐治為興(後に信方)の妻として嫁ぎ、大野殿・大野姫とも呼ばれ佐治家の嫡男・佐治一成を産んだ。
信長が妹・お犬の方(おいぬのかた)を尾張国大野城主・佐治為興(後に信方)の妻として嫁がせるには相応の理由が有る。
織田家は、父・信秀の代から海に近い勝幡城(源・愛知県中島郡平和町)に居た。
その地は尾張と伊勢を結ぶ要衝にあり、織田家は近くの商業都市「津島湊」を支配し、港の管理に拠る海運の利権を握って力を蓄え、武将としての実力の資金源としていた。
その時分から絶えず気になる存在が、大野城主・佐治為興(後に信方)だった。
佐治氏は代々知多半島の大半を領した大豪族で、伊勢湾海上交通を掌握する佐治水軍を率いていた為に、「津島湊」の支配を資金源にしていた織田家にとって、佐治水軍が敵になるか味方になるかで非常に重要視されていた。
織田信長が父・信秀の死によって家督を継いだ頃は、佐治家はまだ織田家とほぼ対等な大豪族勢力と言えた。
その佐治家が、桶狭間の戦いに織田信長が大勝利した事を期に、佐治為興(後に信方)は信長の才能に心服し臣従する。
織田信長は、桓武平氏の系図を望んでいた所から、知多半島を領し佐治水軍を率いる尾張桓武平氏系豪族・佐治氏の臣従は戦略的にも血統的にも大歓迎である。
佐治為興(後に信方)は妹・お犬の方を妻に与えられ信長の字を拝領されて「信方」と改名するなど、義弟として待遇は織田一門衆並みであった。
尾張一国に加え、斉藤竜興を滅ぼし美濃一国を手に入れた織田家の順風な隆盛に伴い佐治家も順風で、嫡男・一成、次男・秀休にも恵まれたお犬の方は幸せだった。
所が、人生そう上手くは事が運ばないもので、お犬の方は戦国武将の妻の悲哀を味わう事に成る。
一向宗一揆・伊勢長島攻めの折、夫の佐治信方は信長の嫡男・信忠に与力して伊勢長島攻めに加わるが、ここで討ち死にしてしまう。
この時、佐治信方は僅か二十二歳の若さであった。
お犬の方は、夫の佐治信方が戦死すると兄・信長の命で管領細川晴元の嫡男で山城国槙木島城主の細川信良(ほそかわ のぶよし/後に昭元)に嫁ぐ事に成った。
細川氏は元は三河国・額田郡細川郷発祥の清和源氏足利氏流であり、足利将軍家の枝に当たる名門で、一族を挙げて足利尊氏に従い室町幕府の成立に貢献、歴代足利将軍家の中枢を担って管領職、右京大夫の官位を踏襲していた。
しかしこの頃は、往年の細川氏の繁栄は今は昔の没落振りだった。
この細川信良(ほそかわ のぶよし/後に昭元)は戦国時代の細川氏の本流である「京兆(けいちょう/右京大夫の官途を踏襲)細川氏」の末流で、管領・細川晴元の子である。
京兆(けいちょう)細川氏は名門ではあるが、戦国期の戦乱の中勢力が衰えた頃に細川信良は生まれ、千五百六十一年に父・細川晴元が有力な重臣だった三好長慶(みよしながよし)との京都霊山の戦いで敗れ、和睦した際に細川信良は三好方に人質に出されている。
細川信良(ほそかわのぶよし/後に昭元)は、隠居、病没した父・晴元の跡を継ぐものの勢力は取り戻せずにいた。
そこへ将軍・足利義昭を伴なって織田信長が上洛、細川信良は臣従して織田信長の軍団に属し、このころ義昭より一字拝領を受けて「昭元」と名乗ってる。
織田信長にすると、細川信良は室町幕府対策として利用存在で、細川昭元を名乗らせて右京大夫に任じ、京兆家を継がせると翌年には信長の妹・お犬の方を嫁がせている。
細川昭元は、武将としての才能には乏しかったらしく、千五百七十二年には摂津で本願寺の僧侶僧兵)下間頼龍(しもつまらいりゅう)・下間頼純らと交戦して大敗している。
お犬の方は、本能寺の変の千五百八十二年(天正十年)に、兄・信長と年を同じくして死去している。
本能寺の変後、お犬の方に先立たれた細川昭元は羽柴秀吉に属して豊臣政権に参加したが、然したる功績も上げられず細川氏の勢力挽回には到らなかった。
細川昭元との間には、お犬の方は嫡男・細川元勝(頼範/おきあき)・長女(秋田実季正室)・次女(前田利常の正室の珠姫の侍女)の一男二女をもうけた。
お市の方と比べて地味な存在だったお犬の方の生涯は、二人の夫の地味な働きにあったのかも知れない。
佐治信方とお犬の方の佐治家嫡男・佐治一成は、織田信長の甥(おい)に当たるのだが姪の於江与(お市と長政の三女・従兄妹同士に当たる)と結婚し、本能寺の変後天下を手中にした豊臣秀吉には従わず徳川家康に与した為、「小牧・長久手の合戦」後、秀吉によって佐治氏は改易となり、その後離婚させられた於江与(お市と長政の三女)は二代将軍・徳川秀忠の正室(継室)と成っている。
細川昭元とお犬の方の細川家嫡男・細川元勝(頼範/おきあき)は、父・昭元の代から豊臣氏に属して豊臣秀頼に仕え、大阪の役で戦い敗れている。
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