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北条時宗(ほうじょうときむね)と元寇

北条時宗(ほうじょうときむね)は鎌倉幕府の第八代執権で、先祖は源頼朝の血筋を根こそぎ絶って天下を我が物とした桓武平氏流・北条時政正子親子の血を継ぐ得宗家嫡流に生まれた者である。

北条時宗(ほうじょうときむね)が育った時代は、宗尊(むねたか)親王(後嵯峨天皇の第一皇子)が鎌倉方の要請で征夷大将軍を務めていた。

河内源氏(八幡源氏)嫡流家である鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の血筋が途絶えた後、北条執権は形式的に傀儡将軍を置いていてその就任を親王に頼っていた。

その宗尊(むねたか)親王から時宗を賜り千二百六十四年(文永元年)に、六代執権・北条長時が出家、北条政村が七代執権と成ったに伴い時宗は十四歳で連署(執権の補佐を務める)に就任する。

事の真贋は定かではないが、宗尊親王が「幕府転覆を計画していた」とされ、幕府連署・北条時宗は千二百六十六年(文永三年)に執権・北条政村や一族の重鎮北条実時と協力して、宗尊親王の征夷大将軍廃位と京都送還、宗尊親王の嫡男・惟康(これやす)親王の征夷大将軍擁立などを行った。

その政変の二年後、千二百六十八年(文永五年)高麗(コリョ)国の使節がモンゴル帝国・フビライ・ハーンの国書を持って大宰府を来訪、モンゴル帝国(蒙古)への服属を求める内容の国書が鎌倉へ送られる。

モンゴル帝国の日本に対する圧力が高まるその国家存亡の国難時期に、北条時宗(ほうじょうときむね)は七代執権・北条政村から執権職を継承し、第八代鎌倉幕府執権と成る。

時に北条時宗・十九歳の春三月(旧暦)だった。

執権と成った北条時宗は、降り掛かる国難「モンゴルの国書」に対する返牒など対外問題を補佐されている前執権の北条政村や北条実時、安達泰盛、平頼綱らと協議、これを跳ね返す方向で異国警固体制の強化や、降伏の祈祷など行わせている。

千二百七十一年(文永八年)再びモンゴルの使節が来日し武力侵攻を警告すると、時宗は得宗権力の強化を図る一方、九州の名家・少弐(しょうに/武藤)氏をはじめとする西国有力御家人に防衛戦の準備を整えさせている。

裏を返すとこの国難は、北条時宗に取っては自分の権力を磐石なものとする絶好の機会だった。

外圧を利用すれば国内の不満を鎮圧するにはもってこいの理由で、弟・時宗が執権になった事に不満を持って朝廷に接近していた六波羅探題南方の異腹の兄・時輔や、一族の評定衆北条時章・教時兄弟を「二月騒動」で誅殺している。

千二百七十四年(文永十一年)元(げん)・高麗国(コリョグオ)の連合軍が対馬・壱岐を襲った後、博多湾の沿岸に上陸(じょうりく)した。

元軍は集団戦法で個人武術戦法の日本軍を苦しめ火薬を使い有利に戦ったが、日本の武士も良く防戦する内に元軍の船団が暴風に拠って大打撃を受け、後方支援(食料や武器の補給活動)を失って退却する。

千二百八十一年(弘安四年)に新たに江南軍(中国の南宋の軍)も加え、朝鮮半島と中国本土の二方面から北九州へ攻め寄せた。

これを「弘安(こうあん)の役(えき)」と呼ぶのだが、寄せ手がモンゴル・中国・高麗(コリョ/朝鮮)の兵士からなる元軍は混成軍の為に指揮系統にまとまりが無く、引き換え日本軍は海岸荷を石垣を築いて上陸を阻み、元(げん)の船に乗り込む奇襲で戦うなど水際戦は有利に戦っている。

この文永・弘安の二つの役を総称して元寇(げんこう)と呼ぶ。

厳密に言うと、第二次襲来の「弘安の役」の後続(増援)部隊は、属国にされた南宋国(呉族系・中国人)の江南海軍だが、これが到着した時には海峡の海はもう荒れ狂っていた。

日本に幸運な事に、この時も元軍(げんぐん)は暴風に会い、南宋の船団は多くの船が沈ずむ被害を出して戦う事なく撤退している。

暴風と言う幸運も二度重なり、北条時宗は「モンゴル軍の襲来」と言う国難を回避した。

しかし、その戦後に今度は従軍貢献した御家人などに対する恩賞問題などが発生したり、以後の元軍襲来に備えて改めて国防を強化せねばならないなど、北条時に宗は難題がいくつも積み重なっていた。

北条時宗は第二次襲来の「弘安の役」の三年後の千二百八十四年(弘安七年)には「既に病床にあった」とされ、三十四歳で病死した。

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by mmcjiyodan | 2008-05-23 03:54  

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