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源実朝(みなもとさねとも/鎌倉幕府三代将軍)と鶴岡八幡宮暗殺

三代征夷大将軍には、二代将軍・頼家の弟・実朝(さねとも・頼朝次男)が就任する。

しかし北条時政は、娘の政子も驚愕する計画を進めていた。

実朝を退け、もう一人の娘婿「平賀朝雅(ひらがともまさ)」を将軍に就けようとしたのである。

平賀朝雅(ひらがともまさ)は、北条時政の後妻・牧の方の娘婿に当るが、この時政の娘は北条政子・北条義時姉弟とは腹違いになり、後妻・牧の方の色香に迷った時政の、そそのかされての企てである。

それを許しては権力が平賀家と後妻・牧の方に移り、政子の政治生命は終わってしまう。

平賀朝雅の将軍擁立計画を事前に知った政子・義時姉弟がとても承服出来ずに猛反対して対立、時政は娘・政子と息子・義時の姉弟に伊豆へ隠居させられて、完全に失脚してしまう。

平賀朝雅の件で時政は失脚し、実権は政子と義時の姉弟に移っていた。

この一件で、時政は出家して、明盛(法名)と称した。

牧の方と伴に伊豆に幽閉された時政の失脚は、源頼朝挙兵から二十五年目の事である。

時政はそれから十年後に、寂しく伊豆で没している。

三代将軍に就任した頼朝の次男、実朝(さねとも)は、兄・頼家の最後や北条執権家の時政(祖父)と政子(母)・義時(叔父)兄弟との非情な内紛を見せられて、身の処し方を学んだ。

母・政子と叔父・義時の権力への燃え盛る執念は並大抵ではなく、そこに触れれば将軍と言えども火傷は必死だった。

実朝(さねとも)は政治には関心を持たず、文化文芸にいそしみ、政治は母政子と、叔父の北条義時に任せていた。

それでないと、兄頼家の「二の舞」である。

それ故三代将軍・実朝は、皮肉にも文化人としてそれ成りの足跡を残している。

処が、それでもなお実朝を確実に取り除きたい勢力が存在した。

北条時政・北条政子にとって、野望を脅かす頼朝の血統(源氏の血)の存在そのものを赦せなかった。

使ったのは、先の将軍「頼家」の次男・公暁(くぎょう)である。

これは、或る事を目論む一族の血筋にとっては、最高に都合の良い方法であった。

つまり源家の根絶やしが、目的で無ければ、こんな事は考えられない。

公暁(くぎょう)に父の仇は「実朝」と吹き込んで、鶴岡八幡宮で暗殺させ、その直後後、公暁も犯人として討ち取っているのだ。

これは、たくらんだ側の「源氏の血筋殲滅プロジェクト計画」において、「一挙両得作戦」と言う事である。

最近の文献では、実は「実朝」は政権運営に意欲を示したので、「陰謀の標的にされた」とする見解が、優勢に成っている。

頼家には、一幡(いちまん)、公暁(くぎょう)以外にも二人の男児が居たが、三男千寿(せんじゅ)、四男禅暁(ぜんぎょう)はそれぞれ自害、殺害で命を落としている。

公暁に殺された三代将軍実朝には、子がいなかったので、「完全」に源頼朝家の血筋は途絶えてしまう。

一人の母親として、女として、政子が「涙を流さなかった」とは思いたくないが、それにも勝る目的が、彼女には有ったのだ。

鎌倉幕府の実権が、完全に政子のものに成ると、弟・義時を使って政子は尼将軍と言われ、幕府の采配をする。

将軍には、幼い九条(藤原)頼経(よりつね)を京から向かえ第四代征夷大将軍とし、自らが後見人と成った。

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by mmcjiyodan | 2008-08-23 18:41  

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