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ルイス・フロイス

織田信長を覇権に突き動かしていたのは、いったい何んだったのだろうか?

全ての既存勢力を破壊する勢いで、行動は一直線に迷いが見られない。

信長は、彼の理想とするまったく新しい国造りに執念を燃やしていたのである。

天下布武」に信長が確信を持ったのが、国外からの情報だった。

この当時、信長ほどキリスト教宣教師(ポルトガル)を通じてヨーロッパの王家変遷情報を聞いていた人間は少ない。

宣教師側には、新王朝の設立を促す事で、布教をし易くする打算があったのだろう。

神道を基本とする当時の皇統は、邪魔な存在だったのだ。

信長がヨーロッパ文明を知る為に目を掛けたのは、千五百六十三年(永禄六年)に、ポルトガル王の命で来日したポルトガル人宣教師イエズス会)のルイス・フロイスである。

千五百六十九年(永禄十二年)信長と対面してその保護を受け、以後信長の勢力範囲である畿内を中心に活発な布教活動を行った。

ルイス・フロイスは、リスボン生まれのポルトガル人宣教師である。

故郷リスボンにて十六歳でイエズス会に入会したルイス・フロイスは、当時のポルトガル領インド経営の中心地であったゴアへ宣教師見習いとして赴任し、そこで日本宣教の養成を受ける。

インド駐在中の二十九歳の折にゴアで司祭に叙階され同地において日本宣教の命を受け、日本での布教活動の為に三十一歳で日本の長崎に来日、当時の日本の首都「京」に向うが、足利幕府が弱体化して布教許可の相手として心持たない。

誰を相手にしたら「布教の力添えを得られるのか」と困って居た所に、織田信長が実質的な最高実力者として台頭して来た。

知識欲旺盛な信長に西欧文明を伝えて信長の信任を獲得したフロイスは畿内での布教を許可され、グネッキ・ソルディ・オルガンティノなどと共に布教活動を行い多くの信徒を得ている。

フロイスはその後半生三十五年のほとんどを日本で費やし、日本におけるキリスト教宣教の栄光と悲劇、発展と斜陽を直接目撃し、戦国時代の様子を知る貴重な資料としてその貴重な記録「日本史(イエズス会)」を残す事になった。

こうした宣教師の任務は単なる布教活動に止まらず、植民地拡大をもくろむ母国の為に、表向きの宣教活動とは別にある種諜報活動を行っていた。

政治的に「評判を立てる。評判を煽(あお)る。」を組織的に工作するのも立派な諜報活動で、その広報活動を信仰を利用して行うのは、歴史的必然だった。

陰陽師が布教を伴う諜報員なら、当時の宣教師は布教を伴う諜報員兼現地工作員である。

そうした目的を内包していたからこそ、国王の庇護や支援が、宣教師に対してあった。

従って、ルイス・フロイスとヨーロッパ文明に対し、知識欲旺盛な織田信長は、互いの利益が一致して接近したが、所詮本音の部分では、騙し合いも多かった筈である。

宣教師に、母国に対するある種諜報活動の目的を有していた事から、ルイス・フロイスの執筆による「日本史」における制覇王・織田信長の描写は、「信長の人物像を良く表すもの」として知られている。

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by mmcjiyodan | 2008-08-28 23:35 | Comments(0)  

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