ええじゃないか騒動

「サリトテ恐ロシキ年ウチワスレテ、神ノオカゲデ踊リ、エエジャナイカ、日本ノヨナオリハ、エエジャナイカ、豊年踊リハオメデタイ、日本国ヘハ神ガ降ル、唐人ヤシキニャ石ガ降ル、エエジャナイカ、エエジャナイカ」

阿波踊りの原型は、「ええじゃないか騒動にある。」と言われている。

この騒動は、或る目的を持った者達の、神仏を利用した典型的な「大衆誘導」と言える。

ええじゃないか騒動は、日本の江戸時代の後期の千八百六十七年七月から翌年四月にかけて江戸より西の東海、近畿、四国に広がった「打ち壊し(うちこわし)」を含む大衆狂乱現象である。

仮装して囃子言葉の「ええじゃないか」を連呼しながら町々を巡った「ええじゃないか」騒動は都市に生活をしはじめている民衆に動揺が大きく波紋を描き、外国貿易の物価の高騰、 米価高騰など様々な生活不安から、「世直しへの期待とともに広がったのではないか」と思われる。

この騒ぎの発端を見ると、江戸幕府が滅亡した千八百六十七年(慶応三年)の夏、東海道三河国吉田宿(現在の豊橋市)で 伊勢神宮の神符が降った。

これが発端で、諸国に次々と神符降臨が巻き起こった。

降下物は寺社のお札に限らず、仏像、貨幣 など多様で、折からの政情不安も重なって「生首、手、足も降った」と噂され、「ええじゃないか」の熱狂が始まった「一種の終末思想」と考えられる。

また、最初の札の降下は、千八百六十七年八月四日(七月十四日説あり)東海道の三河国「御油宿」に秋葉神社の「火防の札が 降下したのが始まりだ」とも言われている。

神符の降下は人為的なものであり、その影には「討幕派が居たのではないか」と言われるが証拠がない。

ただ、徳川家発祥の地、三河国からこの騒動が始まった事実は、否定できない。

そこに倒幕目的の「陽動作戦」と言う作為を感じるのは当然の事ではある。

お札は伊勢だけでなく、八幡、天神、住吉、稲荷、淡島、水天宮、春日、秋葉大権現、牛頭天王、大黒天などの様々な神仏のお札が舞った。

そのお札に「懐疑的態度をとった人の家族が急死する」と村人は非常に恐れ、お札を三河国牟呂八幡宮(豊橋市)に奉納、この事件は近隣の村々にも波及した。

この熱狂は三河から東西に広がり、関東、中国、四国地方に達した。特に東海地方では ペリー来航の黒船騒ぎ以来、大地震、津波、大雨が相次いで起き、唯念行者の除災儀礼が各地で 行われ安政五年にはコレラが流行し、人々は恐慌状態に陥っていた。

そうした中で民衆は、敏感に世の変革の兆しを感じ、重く延しかかり社会不安に耐え切れず、新しい世への世直しに熱狂した。

農村にあった御蔭参り(伊勢皇大神宮の神恩即ち御蔭を感謝する参宮)を基盤として、「ええじゃないか」のはやしをもった唄を高唱しながら集団で乱舞した。いわゆる大衆的終末思想の狂乱である。

以後、東海道や畿内を主力に、三河、遠江、駿河、伊豆、相模、武蔵、尾張、美濃、信濃、伊勢、近江、大和、山城、丹後、但馬、因幡、摂津、河内、和泉、紀伊、播磨、備中、備後、美作、安芸、淡路、阿波、土佐、讃岐、伊予の 三十ヵ国での事例があり、大衆の終末思想への影響は大きかった。

勿論ええじゃないか騒動で幕府の威信が低下し、騒動が幕藩体制を弱体化するのに大きく寄与している所から、この「ええじゃないか騒動」は討幕派が国内を混乱させる為に引き起こした「陽動作戦だったのではないだろうか?」と疑われて不思議は無い。

しかし元々が豊年踊りであるから、地方に伝播されて独特の歌詞が作られ、「御かげで良いじゃないか、何んでも良いじゃないか、おまこに紙張れ、へげたら又張れ、良いじゃないか」と言った卑猥な歌詞などもあって、狂乱の伝播の中で「抑圧された民衆の不満が同調して暴発した」と受け取るべきだろう。

この騒ぎの終焉は、翌年千八百六十八年四月二十二日「丹後国加佐郡野村、寺村を最後になくなった」と言われる。

この年の十一月九日に徳川慶喜(十五代将軍)大政奉還、これにより、江戸幕府事実上滅亡、翌年千八百六十八年一月三日王政復古の大号令と、なだれ的に明治維新に繋がって行くのである。

言わば大衆の信仰心を「革命に利用した事例」と言えないだろうか?

日本に於ける神道系信仰習俗をまとめると、「歌垣の習俗」から「豊年祭り」に「エエジャナイカ騒動」、「暗闇祭り」から「皇室祭祀」に到るまで、「北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)」に集約される「妙見信仰」の影響が色濃く残っている。

そして天孫降(光)臨伝説の創出に、賀茂・葛城事代主(ことしろぬし)の神と共に天之御中主神(あめのみなかみぬしかみ)の妙見信仰が「習合的に採用された」と考えられるのである。

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by mmcjiyodan | 2008-09-11 14:53 | Comments(0)  

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