大伴氏(おおともうじ)

飛鳥時代を代表する大豪族(臣王)に大伴氏・大伴朝臣(おおともあそみ/大伴御門)が在る。

大伴(おおとも)氏は、ニニギ命天孫降臨の時に先導を行った天忍日命(アヤメノオシヒノミコト)の子孫とされ、古代日本の有力氏のひとつである。

大伴の意味は、「多くの氏族を束ねて居る」と言う「大きな伴造(ともつくり)」と思われ、所謂氏族連合の長(御門・臣王)である。

この時代、兵を持たず神の威光で統治する大王(おおきみ・天皇)は、時々の大豪族達に支えられて君臨して居て、その最有力豪族が大伴氏で、大王(おおきみ・天皇)の親衛隊的な役目を任じていた。

雄略大王(おおきみ・天皇)の時代の五世紀後半の大伴室屋(むろや)の時代より勢力を伸ばし、武烈大王(おおきみ・天皇)の代に室屋(むろや)の孫の大伴金村(かなむら)が武烈大王(おおきみ・天皇)を推して即位させ、大連(おおむらじ)になった時が全盛期であった。

大伴金村(かなむら)は、欽明天皇の時代に百済へ任那(みまな)の四県を割譲した事の責任を問われ失脚するが、その後も大伴氏は物部氏蘇我氏が台頭する中、勢力を狭めて生き残り、飛鳥時代の大化の改新の後、六四九年に大伴長徳(ながとこ)が右大臣になっている。

また、六七二年の壬申の乱の時は長徳(ながとこ)の弟にあたる大伴馬来田(まぐた)・吹負(ふけい)兄弟が兵を率いて功績を立てており、以後、奈良時代までの政界で大納言・中納言・参議等が輩出している。

大伴氏は、その後も幾多の政争に翻弄されながらも生き残り、平安時代初期の桓武朝においても、大伴弟麻呂(おとまろ)は東征将軍として副将の坂上田村麻呂(後に初代征夷大将軍)と共に東北蝦夷族の国・日高見の阿弖流為(アテルイ)等を討ちに出兵している。

大伴金村(おおとものかなむら)】へ続く

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by mmcjiyodan | 2008-09-29 13:31 | Comments(0)  

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